2023年 大河ドラマ「どうする家康」45話を見てみた。
こんにちは。めぐたんと申します。
都内でサラリーマンしている歴史が好きな30代男性です。
歴史上の人物で徳川家康が一番好きです。
2023年 大河ドラマ「どうする家康」の第45話が放送されました。
本日も感想を投稿したいと思います。
1.どうする家康45話
前回で豊臣秀頼が成人しました。徳川と豊臣の衝突が世間で噂されるなかで、1611年に家康と秀頼は二条城で対面を果たします。対面で秀頼は見事な態度を家康に見せつけます。
家康は豊臣との武力衝突を避けようとしていましたが武力の威嚇手段として西洋の大筒をアダムス(三浦按針)を通じて入手します。
不安定な世情のなかで家康は今川氏真と昔話に花を咲かせていました。太平の世を目指す家康を氏真は励まします。2
代将軍の秀忠は自分を凡庸と卑下していましたが、自分を客観的に把握して弱みを周囲に見せられる秀忠に天下の王道を継いでほしいと家康は励まします。
そんな中で豊臣家が大仏を再建した方広寺の鐘に「国家安康」「君臣豊楽」の文字が刻まれていました。不穏な空気が徳川と豊臣の間で流れ始めました。
2.秀頼の成長と方広寺の鐘
今回は二条城の会見と方広寺の鐘問題が取りあげられました。
二条城の会見は成長した豊臣秀頼と家康が初めて会った出来事です。
家康はこの時に成長した秀頼の姿を見て、自分の代で始末をつけなければいけないと思ったともされています。
この会見から暫くたった後に豊臣恩顧の大名である加藤清正、池田輝政、浅野幸長などが死去しており、幕府から毒殺されたなどの説がありますが真相は闇のなかです。
方広寺の鐘の問題は鐘に「国家安康」「君臣豊楽」の文字が刻まれており、これが契機となり大阪冬の陣が起こります。豊臣は家康の文字を引き裂き家康を呪い殺し、豊臣を君主としようとしているという解釈を江戸幕府がしました。とんでもない言いがかりですね。幕府としては豊臣家を処分する理由を探していたのでしょう。
ドラマでは豊臣家からけしかけた描かれ方をしていましたが、豊臣家としては幕府に喧嘩を吹っ掛けようとは思っていなかったはずです。豊臣家はもはや60万石程度の大名に過ぎませんでした。本気で天下の主権を奪取しようとしていたのは淀殿ぐらいだったと思います。
次は大阪冬の陣です・・・!
遂に最終回までのカウントダウンが近づいてきましたね。
大阪の冬と夏の陣で2話、最後に1話という構成でしょうか。
次回の46話も楽しみです!