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2023年 大河ドラマ「どうする家康」48話を見てみた。

こんにちは。めぐたんと申します。

都内でサラリーマンしている歴史が好きな30代男性です。
歴史上の人物で徳川家康が一番好きです。

2023年 大河ドラマ「どうする家康」の第48話・最終回が放送されました。
本日も感想を投稿したいと思います。


1.どうする家康48話

大坂夏の陣が始まります。幕府側は圧倒的な戦力で戦いを優位に進めます。
家康は自らも軍勢を率いて前線に出ます。家康の馬印を発見した豊臣方の武将達は最期の突撃を敢行しました。真田幸村が家康の眼前にまで迫りますが家康は生き延びます。

大阪城からは火の手があがり、豊臣勢は秀頼をはじめ山里曲輪に逃げ込みます。秀頼に嫁いだ千姫(家康の孫、秀忠の娘)は家康のもとに戻り、秀頼と茶々の助命嘆願をおこないますが家康と秀忠は秀頼に死を申し付けました。山里曲輪で豊臣秀頼と大野治長ら大阪方の武将、茶々は自害して果て、ここに豊臣家は滅亡しました。豊臣家が滅亡したことで天下泰平の世が実現しました。

家康の業績を後世に伝えるべく、南光坊天海は書籍の編集をおこないます。天下統一後の家康は恐れ多く畏怖される存在になり孤立しており、遂に病に伏せました。1616年(元和2年)4月17日に家康は危篤になります。木彫りの兎を掘っている家康の前に現れたのは、亡くなった妻の瀬名と長男の信康でした。ふたりは家康の偉業を称えます。家康は「立派なことはしておらずただの人殺しをやってきた。」と言います。瀬名は「竹千代(家光)が鎧を着なくてもいい時代を作ったのです、立派なことではないでしょうか。」と返します。

そこから家康の昔の回想が入りました。信康の祝言の時の鯉のエピソードでした。古狸と世間から評されていた家康が、何よりも家臣を大事にする、やさしさを持っていた出来事でした。家康は安らかに息を引き取りここに激動の生涯を閉じるのでした。


2.大阪夏の陣から家康の死

今回は大阪夏の陣から家康の死までが描かれました。

大坂夏の陣は天下泰平の世を実現させるための最後の戦いでした。劇中で真田幸村が家康の眼前にまで迫っていましたが、実際の戦いでも幸村は家康を追い詰め、家康本人の馬印が倒されたと言います。馬印が倒されたのは武田信玄と戦った三方ヶ原の戦い以来のことでした。最終的には圧倒的な兵力の前に豊臣家は敗北して滅亡します。

そして家康は大阪夏の陣から1年経たないうちに戦国の終焉を見届けた様に亡くなります。小栗旬が演じた天海は家康死後に家康の神号を「権現」として、「東照大権現」として家康は祀られることになります。

家康死後の江戸幕府は2代秀頼、3代家光がしっかりと基盤を固めます。今作のナレーターは春日局(寺島しのぶ)だったのですね。春日局は家光の乳母であり家光を教育した人物です。春日局の父は斎藤利三という武将で明智光秀の家臣でした。家康、秀忠、家光と続いた幕府は幕末まで250年の太平の世が続きます。これは世界的にも類をみないほど戦争がない時代でした。そして今日の東京に繋がっていくのです。


遂に最終回が放送されました!

この記事の更新を始めた理由が「仕事以外で何か目標を設定してみよう」という思いつきによるものでした。丁度自分が好きな徳川家康の大河ドラマが始まるということを知ったので勢いで始めました。

1年間公私ともに色々とありましたが、無事に終わらせることができて良かったです。読んでいただいた皆様方、本当にありがとうございました!

これからも単発でnoteの記事は更新していきたいと思います。
少し早いですが2023年お疲れさまでした。2024年が皆さんにとって良い年になるようにお祈り申し上げます!


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