宗教のパワハラ、スピハラ?

不動心が自分を護る

昨今、旧統一教会における問題が明るみになっていますが、今更ですね。昔から宗教や占いや精神世界においても、マウントをとって寄付を募ったり、勧誘したり、依存させたりすることがあります。
全て科学的に未だ証明されていない、目に見えない世界での出来事です。
ですから「あなたは悪霊が憑いているから、不幸なのよ」と言われたら「その根拠を示して下さい。どんな悪霊が、どんな不幸を招いているのですか?」と問えば良いですね。
そうしたら「サタンがあなたの病気の素になっている」と言ってくるかもしれません。
「サタンの定義は何ですか?人生における病気の定義は何ですか?」と切り返していくのです。
その後も「とにかくお布施をしないと、あなたは救われないのよ」など話しをすり替えていくのでしょう。
大切なのは根拠と定義です。つまり自分の中に定義がなければ、他者の言うことが正しいと認識してしまうことでしょう。

スピリチュアリズムにおける「サタン」の定義は、小我の愛と表現できます。つまり、自分の中にある「利己心」です。憑依によるサタンだとしても、そのサタンを引き寄せたのは自分の波長によるものですから、自己責任なのです。自分の利己心を見つめて、改善して波長を高めていけば、サタンによる憑依はなくなるのです。

次にスピリチュアリズムにおける「病気」の定義は、人生の目的であるたましいの成長のための自分の課題、カリキュラムです。ですから不幸の出来事ではなく、ありがたい存在なのです。

不動心を得るには、自ら思考して、スピリチュアリズムを学び、また考え答えを導き出せているかが肝要で、すべての出来事に意味を見出し、怖れることなく、感謝する人生を生きているかが問われます。

「私には神様がバックにいる」という傲慢

宗教に入信されている方で社会性がない人が目立ちます。「私は神様のため、教祖様のために生きているのだから」と家族や周囲の人が嫌がる行為を堂々とします。
「私は正しいことをしている」という強い信念のもとで、ある意味マインドコントロールされているからと言えますが、改善することは困難さを極めます。
家庭崩壊しても高額を寄付し続ける心理を、外にいる私達には理解できませんが「まだ寄付が足りないから家庭が崩壊していく」と宗教から教えられているのかもしれません。それとも家族崩壊という現実から逃避するため、更に入信度を深めていくと考えられます。

「現世だけで完結しない」という希望

人は死んだ後、アカッシクレコードを見ながら自分の過ちを反省する機会を与えられています。だから逃げ得はないのです。アカシックレコードには行為だけではなく、言葉も想いも記録されています。だからごまかしも出来ないのです。
宗教二世や被害を受けた家族は「生きている間に改心してほしい」「死ぬまでに謝ってほしい」と願う気持ちもあるでしょうが、あの世を含んだ大きな愛で、入信した家族を見れば、同じ目的をもって生まれてきた仲間であり、類魂、ワンネスであると理解できるのです。
加害者としての学びと反省、被害者としての学びと反省がそれぞれにあり、究極的なことを言えば、たましいは一つであり、どちらも自分であるのです。もしからしたら、前世で自分は加害者を演じていたかもしれないからです。
過去世から来世としての長い時系列と現世から霊界としての大きな空間の視座に立つことで、相手を赦すという寛大さを得ることができるでしょう。

地に足着けたスピリチュアリズム

だからといって何も行動しないのは怠惰となります。現実的に法的手段に訴えることで、救われる人がいるのであれば必要なこととなるでしょう。大切なのは大我の愛、利他愛の想いがその行為にあるか、自分の欲を満たすだけの行為では、またカルマとなって自分に返ってきます。
「江原流スピリチュアリズム」は現実をどのように生きるか、社会性を重視します。相手を思いやり、空気を読んで、トラブルのない人間関係を築くことが求められます。「あなたは家族にスピハラしていない?」と江原氏は問います。
スピリチュアリズムを学び続けるということは視野が広がっていくことですから、相手を深く理解できるようになるということです。ですから家族にスピリチュアリズムを理解できない人がいても、相手を変えようとせず自分の接し方を変えることができるのです。もちろん勧誘も寄付も必要はないのですからトラブルは起きないはずです。
後は十分に家族で話し合って、お互いが思いやり理解し合うことが大切ですね。それはスピリチュアリズムに関係なく、大人として親としての常識と言いましょうか。
視野が広がるということは、新たなる自分の未熟さに出会い、傲慢だった自分を受け入れ、反省し改善することになります。つまり傲慢さが減っていくことになるのですから、「バックにスピリチュアリズムがある」という傲慢な考えはないはずです。それがある人は、まだまだ学びが足りない、道半ばということになります。
応援しましょう。



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