スピリチュアルヒーリングとは
病気を治すことが目的ではない
スピリチュアルの視点から見れば、生きる目的はたましいの成長です。
生きていると様々な出来事が起きます。自分が宿命で選んできた時代、容姿、障がい、性別、家柄などによって差別されたりすることも、たましいの成長のための負荷と言えるのです。
大きな負荷がなくても、人間関係のトラブルや死別の悲しみなど人生には負荷だらけです。その中でも「病気」は万人の共通の課題として存在しています。
あの世にはもちろん病気という概念はありません。肉体を持つ現世だけの貴重な体験が「病気になる」です。だからこそ病気はたましいの成長にとって必要不可欠であると同時に、現世において悩みの種とも言えます。
つまりスピリチュアリズムの視点から言えば、病気とは忌み嫌うものではなく、「自分の未熟」であり「自分の課題」であり、「たましいの成長のための種」であり、「人生の目的達成のための宝」であると言えます。まさに出世魚のように、自分の人格霊格の成長と伴に変化していくのです。
ですからスピリチュアルヒーリングはその宝である病気を治すことを目的とはしていないのです。
目的はたましいの成長を促すこと
人は病気になると、理性を失うことが多いです。感情が優位になり、視野が狭くなったり、軽いパニック状態になる人もいるでしょう。もちろん全ての人がそうなるとは限りませんが、死を考えたり、人生を見つめたり、様々な思考が促されます。
全ての人が霊的存在ですから、セルフヒーリングが出来るのです。
残念ながら、Amazon等では廃盤になっているので、携帯文庫で電子書籍として読むしか方法はございません。
ちなみに、江原氏の著書を中古で購入することはお勧めしません。なぜなら、以前の持ち主の念が籠もっている可能性があるからです。つまり小説とは違い、江原氏の著書は非常に人の念が入りやすい内容の本だからです。念は良いものとは限らないことを付け加えておきます。
話しを戻します。理性的で健康的な人間であれば、セルフヒーリングは可能です。しかし、肉体の痛みや苦しみを抱えながら、理性的なセルフヒーリングをすることは困難な場合が多いです。ですから、スピリチュアリストのヒーラーによるスピリチュアルヒーリングが必要になってきます。
ではクライアントは誰でも良いのでしょうか?真のヒーリングを実現するためには、スピリチュアルヒーリングの目的を正しく理解できている人間に限定されます。「病気を治して欲しい」という気持ちは人として理解できますが、それを主の目的としてヒーリングを受けることは、セッションの失敗とも言えるのです。なぜなら霊界がそれを望んでいないからです。
病気が治る学びと治らない学び
スピリチュアルヒーリングによって、病気の症状が緩和したり、寛解したり、場合によっては完治することもあるでしょう。しかし、スピリチュアリズムの視点で言えば、それは結果であり、いずれにしろ皆死ぬのですから、霊界にとってはどうでも良いことなのです。つまりクライアントが病気から何を学んだのか?たましいの成長ができたのか、否かのほうが大切なのです。
治るクライアントは「治るという経験」から学ぶこと、治らないクライアントは「治らないという経験」から学ぶことがそれぞれに存在するだけのこと。そこにヒーラーは関知しません。クライアントの自己分析、内観によって「気づく」事以外に何もないのです。気づくとは、少なからず霊界が関わっていますから、クライアントがスピリチュアルヒーリングによって理性的になっていることが条件になるでしょう。
霊界からのエナジーがクライアントのたましいに届く
つまりヒーラーは霊界からのエナジーをクライアントに届けるための中継地点、媒体、道具に過ぎないということ。ヒーラーのエナジーを与えるのではないので、基本的にヒーラーは疲れません。むしろヒーラーも癒されます。しかしクライアントが目覚め、気づきを促す存在でなければなりません。あくまでもお手伝い程度の関係です。クライアントの依存心を助長するような関わり方はNGですし、物販も必要ないのです。なぜなら、目的は治ることではなく、たましいの成長ですから。目的を見誤ると、霊界との繋がりは希薄になるでしょう。
巷のヒーリングで起きていることは
あまり他のヒーリングを詳しく存じ上げていませんが、霊界と言っても高級から低級まで存在します。「治すこと」を目的にしているヒーリングは、少なくとも高級霊が関わっていることはないでしょう。なぜなら、人生の目的から逸脱しているからです。白黒はっきりしている低級自然霊が関わっている可能性があります。
巷のヒーリングによって、たましいの成長を目的としないで、病気が治ったとします。その後何が起こるか?因果の法則、正負の法則が働いて、再び病気になるか、更に重い症状になるか、事故に遭うか、たましいの成長のための気づきが本人に起こるまで続くことになります。
スピリチュアリズムは現世に高級霊界がもたらした叡智です。階層の法則でも理解出来るように、あの世と一言に言ってもピンからキリまであります。幽界には現世のような小我や物欲にまみれた世界も存在し、そこにも人霊がいます。その人霊はこの世で履修すべき内容を幽界の下層部で、学び直しているのです。現世で生きている間に、物質界のこの世を謳歌しすぎて、物質的価値感で生き抜いたのでしょう。そのような人は残念ながら、幽界で肉体を失いながらも、必要のない金を集めたり、食欲を満たしたり、なかなか現世での習慣を止めることはできません。つまり生きる目的を理解せずに死んでいったのです。
では何が必要か?ここでも「本人の気づき」しかないのです。守護霊はその時までじっと待ちます。「肉体がないのに、自分は何をやっているんだろう」と自身の考えが改まるまで続くのです。
幽界の低層階には低級自然霊も波長の法則で存在しています。現世の小我や物欲を満たすお手伝いをしてくれます。つまり、巷のヒーリングのように「病気をどうか治して欲しい」というクライアント強い願望を聴いて、叶えてくれるのは低級自然霊が関与している可能性があり、今後のことを考えると非常に怖く、治ったお代としてどのようなことが起こるか不明ですし、つまり未来の安全保証はないということです。
巷のヒーラーもしかり。「治る」と直接的な言い方は薬事法に抵触する怖れがありますが、クライアントの欲望を応えようとするヒーラーにも、それに見合った学びが「気づく」まで訪れるということです。
「なぜ私にこんな不幸が訪れるのだろう」
自分が見えていない証です。
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