山谷のリクルートスーツ
中年を過ぎて始めた服飾販売で知り合った人が、仲御徒町で紳士用品店を営んでいた。婦人服の乗りでメンズも扱い始めたものの、売れ筋がつかめず四苦八苦していたので、なりふり構わず仕入れに同行させてもらうことにした。
今思うとだいぶ筋違いの店で、あまり参考にはならなかったのだが、男性一般の服に対する考え方を知る良い機会となった。
端折って言えば、彼の仕入れ方は、光っていないものを買う。みみずの感覚だと婦人服は光っているものを買う、その真逆である。
みみずの弟はおしゃれとは縁遠いダサい奴だが、いつだったか、そのハンカチを見て驚いたことを思い出した。ブランド物のロゴのマークを隠すように折り畳んで持ち歩いていたのである。人に知られるのは恥ずかしいが、万が一知られても恥ずかしくないものを身に着けていたい。らしい。
男は屈折した生き物だと、改めて思った。まともに相手にすると疲れる。が、ショーバイなので、我慢、我慢。
仲御徒町の彼は、可もなく不可もなくという類の商品を(失礼!)、シーズン先物まとめ買いで、バサバサ仕入れていく。「どっちでもいいような服が売れるんだ」ですと。「上下揃っていれば、男はサイズなんてたいして気にしないからね」とも。
「どんな人が買うんですか」「普通のサラリーマンさ」「へえ、こういうのが売れ筋なんですね、ちょっとビックリです」「女の人の服選びとは違うかもしれない」「全然違います」「大概の男は服選びに時間をかけないよ。どうかすると、試着もしないで買っていく。」
うらやましい限りだ。すこぶる良い客層とお見受けする。「そんなことないよ。山谷、知ってるでしょ、あの辺の客も多いから」「スーツ買うんですか?」「そうよ。ドヤ街のその日暮らしでもさあ、時たま会社の面接なんかもあるのよ。そうすると、丸ごと買っていくね、ネクタイ、靴下まで。高い物じゃないけど。」
紳士物の販売は、Fカップのスタッフが担当して、一時、売り上げが伸びたが、その後また低迷し、結局手を引いた。
あれから幾星霜、慌ててスーツを買って面接に臨んだ山谷の住人は、うまいこと仕事にありつけたのだろうか。
みみずも4月初めにリクルートジャケットを買った。こんなもの、ろくに使うことないのにな、と思いながら。そして今なお、面接の度に活用している。