「嫌われてるから」は現実逃避?
みなさんこんにちは!中村攝太朗(せいたろう)です。
ぼくは色んな記事で、あるずば抜けた能力を持っていると何度も書いてきました。
そう、『指導者に嫌われる能力』です。
決して悲しい思いで書いていません、
どちらかというとポップな気持ちで書いています。
特に、10年間やっていた野球では、
監督やヘッドコーチにあたる、特に裁量の大きい方々のお気に召してもらえませんでした。よく干されていました。
真夏の洗濯物ぐらいよく乾きました。
欲しい人からの承認をいつも得られなかったので、
他人からどう思われるかをとても気にしていました。
また、今では承認してくれる人も増え、そのたびに幸福感に包まれます。
承認って大事だなと、改めて実感します。
敢えて「嫌われる」と書いていますが、
「嫌われる」も自責逃れに使いやすい言葉です。
試合に出たいなら監督に好かれる必要があります。
結果だけではなく、使いたいと思われる選手かどうかは大事です。
それを薄々気づいていながら、「嫌われているから」と被害者面して必要な努力を怠った結果の先に残ったのは、やるせなさと虚しさでした。
少し言い訳をさせてもらえるなら、
中学高校と多感な時期に割り切って、
人間的に好きでない大人に対して好かれる努力をすることは、同時の僕にはまだ少し、タフ過ぎたのかなと思います。
嫌われてもなんら支障のない場合だったらいいでしょう。
ただ、自分自身が何かの組織やコミュニティー内で結果を出すうえで必要であるのならば、自分が変わる必要もありますよね。
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