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【自己紹介②】「すいません、トイレ行ってきます」
みなさんこんにちは!中村攝太朗(せいたろう)です!
ぼくの就職活動は、はっきり言って大失敗でした。
就活のときに考えていたことは、「とにかく稼ぎたい!」
ですが、結果的に就職したのは自動車部品メーカーで、
毎月の手取りも16万ほど。
そのまま頑張っても自分が親からしてもらってきた教育を自分の子供にはできないのは、上司を見れば一目瞭然でした。
就職してから、父がどれだけ頑張ってくれていたか理解しました。
野球を通じて「継続は力なり」だと気づいたと先日書かせていただきましたが、一社目は2年経つ前に辞めてしまいした。
ぼくの両親は子どもがすることに対して、なんだかんだ言って最後は応援してくれる人たちです。
ちなみに、両親のパワーバランスは分かりやすく、たとえ世界が滅びようとも母が全権を握ります。
僕は小さいころからいろんな習い事をさせてもらってきました。
姉が始めたことをきっかけに、物心つく前から始めたピアノ
大人になってから親に感謝したお習字
なにも成果は得られませんでした、英会話
また、父が柔道整復師ということで、小学生の時には柔道を。
そして理由は分からないけどずっと好きな野球
野球を「習い事」というと親が「違う」といつも言っていました。
ニュアンスではわかりますが、思いつくほかの言葉がありませんので
「習い事」とさせてください。
小学生の頃は、試合中に感情をコントロールできず泣きながらプレーしたり
今では問題になりますが中途半端な練習や試合でのプレーに対して、コーチに回し蹴りされてました(笑)
プロフィールにもありますが、中学時代は全国大会常連のボーイズリーグのクラブチームでプレーをしていました。
自分で言うのもなんですが、入団当初から卒団するときまでの成長幅は結構あったんじゃないかと思います。
全国常連のチームの練習ですからそりゃスパルタです。
炎天下の中10キロ走っているときも水分補給は禁止、
熱中症、脱水症状で救急車が来ているのを横目に気合を入れなおして走り続けます。
ちなみに僕は仮設トイレに置かれている排泄物を流す用のペットボトルの水を飲んで耐えていました(笑)
冬のランメニューも過酷です。
連帯責任なので、タイムが切れないと先輩から普通に蹴られます。
やんちゃで荒れた人が多く、タバコなどを理由に野球を取り上げられ、余った力を暴力に使って警察のお世話になる人がいたのも、その時は普通でした。
また、カラダは小さく力はないし、下手だからというのもあり、チームメイトからは馬鹿にされたり力で捻じ伏せられたりしていました。
同級生からも先輩からもいじめられましたが、誰かが助けの手を差し伸べるなんて甘いことはありません。
それで辞めてくれれば競争相手が減るし、いじめている側の親はだいたい同じ認識でした。
監督やコーチも野球の指導者であって、別に教育者ではありません。
また、ぼくは監督や、権力が強い指導者からから嫌われる天才でもあり、よく理不尽に干されてました(笑)
楽しい野球をしたいわけではなく、小さいころから自分を投影して見ていたカッコいい高校球児になるためにそこで野球をしていました。
3年間死に物狂いでここで野球して、高校で楽しくやったんねん、
ぐらいに思っていました。
辞めるならここだったなと思います…(笑)
続く