価値ある豆腐
9月の三連休長野の上田へ行く途中、夫が寄りたい場所があると言い急遽佐久穂町を目指すことにした。気温は高いものの日差しは完璧に秋で、黄金色に実った稲穂を横目に車を走らせるだけで生きてて良かったという気持ちになる。長く伸びた八ヶ岳山麓が美しい。
たどり着いたのは一軒のお豆腐屋さん。豆腐屋の孫で豆腐好きな私のためかと思いきや、それもあるがそれだけではないという。ここ稲村豆富店は店主の稲村香菜さんがお一人で始めた豆腐屋さんで、まだオープンして2ヶ月ほど。木金土はお店に立ち、それ以外は農作業をしているという。在来種の大豆を大切にし、手作り豆腐はもちろん季節の野菜で作るがんもも評判とのこと。
そもそものきっかけは格闘技だ。遡ること数年前、私たちはお豆腐屋以前の稲村さんの、ある挑戦を見て大いに感銘を受けていた。それは某メディアの企画で、二十代の稲村さんが1年間の猛特訓を経てアマチュアながらMMA(総合格闘技DEEP JEWELS )に挑戦し、腕十字で見事一本勝利を収めるという動画。過去にスポーツをしたことがあるものの、格闘技の経験は皆無だったという彼女の、一見無謀と言えるような挑戦に私たちは釘付けになった。これがどれほどすごいことなのかおわかりいただけるだろうか?今思い出しただけでも涙腺が緩んでしまう。とにかく一般の人間がわずか1年の準備期間でMMAのリングに立ち、勝利する。映画みたいなことを現実にやってのけたんですよ、稲村さんが!
それでね、試合直後のご本人のコメントがまた良くて。要は自分はこれを続けることはできないと。格闘技を生業としているプロへの敬意と賛辞を、実際にリングに立った人しか発することができないとてつもない説得力を持った言葉でポツリポツリと話していて。なんという清々しさ!数日後、都内で偶然稲村さんをお見かけした際に少しだけお声かけさせていただいたのを最後に、私たちに稲村さんのその後を知る手立てもなく。
そして2024年。本当に偶然、夫がたまたま何かのwebサイトで彼女がMMA挑戦後、何年か準備期間を経て長野で豆腐屋さんを開業したと知る。ならば上田にお墓参りに行く途中に立ち寄ろうという事に。格闘技と豆腐好きとしてはスルーできないですよ。それでやっとお会いできた稲村さんに思いの丈をお伝えし、「香り豆」という茨城の大豆を使った木綿豆腐、薄緑色の長野の在来種の「ひとり娘」の豆乳、枝豆が入った季節のがんもをいただく。「在来種」の大豆を大切にされていると伺い、その香りとコクの強さに心を奪われる。大豆以外にも国産にがり、有機野菜、国産菜種油を使用されているとのこと。…なんというかものすごく真っ当。ズルくない感じがするというか。
聞けば、格闘技の経験から身体を作る上でも食事の大切さを改めて認識し、6年も修行をされて開業したのだそう。私は稲村さんの木綿豆腐を一口食べた時の衝撃が今も鮮明に記憶に残っていて、身体がまた味わいたいと言っているんですよ。東京に戻り、すぐに通販をお願いしたのは言うまでもなく。Instagramをみたら、なんと世田谷区深沢のタネカら商店さんでも一部商品が取り扱ってらっしゃるとのこと。お近くの方はぜひ。
長野からの帰り道、心の中で豆腐屋を営んでいた亡き祖父に話しかけてみる。美味しい豆腐を求めて高速を2時間飛ばす、そんな大人になりました。挑戦を続ける稲村さんの豆腐には大いにその価値があると思っている。(J)