もう新しい朝になってる
歴史は後で振り返らないと見えないから、
気にしないと気付いた時には起きてるんだけど、
このSARS COV-2というウィルスによって引き起こされたパンデミックのことも、
後でゆっくり検証されて、その時歴史になるのだろう。
明確に区切られるのはその時で、
現在を生きる僕らにとっては連続した日常としか感じていない。でも、もう歴史は出来上がっていて、世界は新しい世界になってる。
何となく、昨日の自分は今日の自分だと思っている。
そう思って生きるように人間はできてるから、
明日を信じられるんだと思う。この二年間で信じられないことが起きて。信じられなくなることも、忘れられるから、生きていける。強くて不思議な生き物だと思う。
歴史が好きな僕は、どうも過去のある時点に目を向けてしまう性質を持ってるみたいだ。
この二年間で、人、出来事は変わっている。
変わるということについて、人間は無意識に避ける
本能を持っていると思う。
本能は、生きるために備わってる力だ。
本能は、危険、つまり自分を脅かす存在や出来事を避けようとする力だ。
誰かがヘイトを言って、それを聞いた人がその言葉をそのまま自分の認知にしてしまう。
ヘイトに何でそんな力があるのか。
人が危険を避ける本能を持っているから。
危ない!と誰かが言ったときに、
何で危ないんですかって言った人に聞いても
危ないと思ったから危ないんですって答えしか無い。
丁寧に進めたいから、今ここではヘイトの話であって地震、津波、交通事故のように明らかに命の危険が、即座に理解できる状況で言われる危ないではないことを言っておきたい。
本題。
ヘイトを信じるのは、あなたの本能です。
危険を避けようとしています。
でも、あなたの理性は、何か言っていませんか?その言葉は、本当なんだろうかと。
理性が無意識に訴えているのを、直感と呼ぶ。
『誰が何と言おうと』
たまに目にする言葉だ。
誰が何と言おうと、僕は自分の直感を信じる。
理性的に考えたい。人間として。
気付いたら歴史を生きてたのではなく、
新しい歴史の中に生きていきたい。
今日はここまで。