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否定しない習慣(林健太郎)

(今回は、毒を吐きます)

これは役立ちます。

しかし、非常に難しいと思います。

ここに書いてあることを的確に実践している人は私の周りにたくさんいます。
事を荒立てない言葉の使い方、とても参考になります。

私も極力気をつけたい。つねに「あの言い方で良かったのかな?」と反省し、改善しようと思います。

しかし、それが通用しない、どうしても事を荒立てる結果になってしまう場所があります。
家庭です。
職場や何らかの集いの場であれば、「そこから離れる」策が取れますが、家庭は、そうはいきません。
「修行の場」です。

たとえば、同書には、

相手に「提案」をしたいときは、許可を取る。そして、相手に「強い意見」を言うときは、許可は許可でも、相手に「聞く覚悟を促すような許可」を取るのです。

207ページ

とあります。さらに同書では、

「いえ、聞きたくありません。言わないでください」というケースは本当に稀です。

と、あります。
「稀」と書いてあり、「断定」はしていないのです。
我が家はまさにその「稀」に該当します。

他にも、

「提案があるんだけど、いいかな?」
このように言われて、「提案はいらないです」という人はほとんどいないでしょう。

202ページ

ここも「ほとんど」とあります。
はい、我が家が、その「ほとんどいない」の該当者です。

提案の前に「前フリをする」提案も同書に書かれていますが、前フリをしてもお構いなしに、自分の意見を押し通します。

私が「こっちの話も聞いてくれるかな」といったところで、聞かず、自分の意見を押し通します(何度でも同じことを言い続ける)。
家庭には「逃げ場」が見つかりません。辟易し、「仕方ないか」と思うしかないのです。それが相手のやり方で、まんまとそれにハマっています。

笑ってしまうのは、こっちが「それ、いいねぇ」と言っても、
「良くないんだ」
と言う事。
「えっ、自分で提案した事なのに、こっちが『いいね』と言うと否定するの?」
苦笑するしかありません。

とにかく人の言うことは否定する。子どもの意見でも、周囲の意見でも、「そうだね」と言う事はほとんどありません。

「それにはこんな手もあるけど」と提案しても「でも…」と否定。そのあとにいろいろな言葉が並ぶ。それが止まらないので、相手の言う内容も覚える事はできません。

だから、「修行の場」です。

私の場合はごくごく例外的なケースです。皆さまにはとても役立つ有用な本だと思います。

ちなみに、職場では「否定しない習慣」、あるように思います。なぜなら皆さんの意見に、間違いがほとんどないから。
むしろ自分が間違いを連発していて、それをうまく「否定されない」ような表現で返答をされ、「そりゃそうだよね。自分、ちょっとおかしかったかな」と感じるような、そんな日々です。

なので非常に円滑に労働ができる環境です。

この差をどうすれば埋められるのか…よくわかりません。最近は、埋めようとも思わない事にしました。




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東の京の田舎市民
至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。