最近
相変わらずの暮らしをしている。
1月からTwitterから離れ生活習慣の一部を変えて、少し自分と向き合えるようにもなった。
このところ、日々自分を支えるランチセットをたくさん拵えておいて、平日は昼夜それを食べる。
ひじきと、里芋の冷凍を煮込んだ煮物。パック入りの角煮か鶏だんご。温泉卵など。
毎回同じメニューでも全く飽きない。
コンビニで買ったおかずは添加物の味や、時間を置いた野菜の味が無理で食べれないものが多いから、
好きな味付けの物をいつも食べられることで心の安定感が大きくなった。
変わらない毎日。
日々、日中の仕事に振り回されながら1日が経とうが1年が経とうが5年が経とうが、注意を払わない生活。
5年日記が一瞬で終わって次のを買うことになる。新しい月のページを繰る速さにも何も思わなくなる。
最近、仕事場の人からは「そんなことまでやるの?」と言われることが何度かあって、思い込みが激しいのかなと思うようになった。
今年が明けてからは大きな締切のため1ヶ月間、身を削って仕事をしていたのがやっと解放されたので、久々にnoteを開いた。
一体自分は何をしたいんだろう?
身を削っている間は目標に向かい充足感を感じたし、自信を持って発言していたと思う。
今は抜け殻のようだ。
ご飯を食べる時間や睡眠も削って、日に12時間働く日もたくさんあって、座りすぎてもう座ってることも辛いくらい足がパンパンにもなった。
幸運なことに、最終形を報告したら、頑張ったことを褒められた。ホッとしたのだけれど、提出を終えてからは腑抜けになってしまった。なぜこんなにやる気が無くなった?褒められると目的を達してしまってやる気がなくなるんだろうかな。
そこで気づいた。
自分にとってのモチベーションは「欠乏感」だったのだ。欠乏を埋めるためにはやりたい事が出てくる。周りの仕事や人を見て「これが足りないんじゃない?」と色んな物を差し出す。
「欲しかったんだよ、ありがとう」と褒められるのを想像して。でもそう言われるのは100回に1回ぐらいで、大抵はうっとうしい顔をされる。
いい人の顔をした私の心の声、「認めて欲しい、褒めて欲しい」そんな思惑がだだ漏れなんだろう。「いらないです」という人が大半。
今回は奇跡的に100に一度のタイミングで褒められた。そうすると、嬉しいのは一瞬で、その後はもう欠乏してないのだから、動く理由が無くなった。
自分はそんな人間なんだと思った。
身を削るまでやる、それしか生きる道はないと。
そんなくせ、あまりハードルを上げずに毎日出席して、落ち着いてイライラしていないような人の提案は、どんなにシンプルでも時間を掛けてなくても、皆が素直に「いいね」と言う。
泣きたいほど悔しいと思った。
人生のプライオリティを変えなければ。
と思った最近の話。
いつも通りの私です。