【障害のこと】いじめられていても、私が学校に戻った理由と今も続く内なる攻撃
中学校は荒れていたので、もちろん私はいじめの標的になった。
いじめを放置した教師に復讐をしてわかった。復讐は、自分のエネルギーを食い尽くす。| https://note.com/3337777/n/nedfe7171441b
1日だけ、学校にどうしても行きたくなくて、母親にいじめられていることを打ち明けて、病気のふりをして休んだ。
その日何をして過ごしたかは覚えていない。ただ、学校への恐怖感よりも、今後の人生への危機感を強く感じていたことを覚えている。
ただでさえ、この足のせいで将来の人生の選択肢は狭まるはずだ。その上不登校になったら?この不登校状況が続いて、まともな学歴と社会経験まで積めなかったらどうなるだろうか?
私の脳みそは思った以上に現実的に動いた。こんな田舎にフリースクールなんてものはなく、噂や評判もすぐに広まる。今以上自分にマイナス要素を抱えることこそ恐怖だと思ったのだ。
「障害者」の上に「不登校」「低学歴」のレッテルが重ねて貼られるなんて耐えられない。ここで没落したらもう這い上がれない。
私は当時持ちうる最大限の未来予測から、いじめられている学校に戻ることを決めた。
もちろん親は私がこんな考えの上で登校することを知らない。送り迎えの校門の前で、車の中から母は「笑顔だよ!」と私に伝えた。その無邪気さと苦し紛れに苛ついた。何も分かっていないと思った。
とりあえず卒業まで耐えれば良い。これは私が将来この町を出て、クラスメイトよりもいい生活をするための試練だ。今よりもつらいことはきっと無いはずだ。結局、進学校に入学し、私の3年間は葬ることに決めた。この時のいじめの記憶は断片的にしか残っていない。
この時の決断が正解だったのか、今もわからない。
当時は、自分を卑下して生きることが、いじめられている自分を守ることと同義だったし、苦しいことは過ぎ去るまで待つという、全く受け身な対策しか長らく取れなかった。
何より、「障害者だから他より秀でなければなめられる」という感覚の自覚はこの経験が特に大きかった。
この感覚は、自分を大事にできるようになった今でも、別の形で残っている。自分を高め続けなければ取り残されるというプレッシャー、自分の市場価値は?
私は度々自分で設定した圧力から攻撃される。いじめられた私は、そのあとも自分を様々な形で''いじめる''ことで生き抜こうとしてきた。自分の価値を低く見積もることで自己防衛してきた。そのツケは社会人になってから、何倍にもなって返ってきた。気づくのが遅かった。
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