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ヒカリノオト ⑦






ヘリオセントリック占星術と
オーディション番組。

何の関係があるのか?


ヘリオセントリックになかなか辿り着かないので、何が起きたのかを先に書いてみようと思います。

ここまでのことを
ざっと、振り返ってみます。

自分的には、サインの意味や記号の形までおぼつかなくなるくらい、占星術からは遠ざかっていたのを、まさかそんな形で!?
よく、引き戻してくれた!!
という感じなのですが、

これもまた、極めて正確に、そして至極当然のこととして、

『 宇宙原理とはそういうもの 』


だと、松村先生が当然のごとく説明下さっている動画が存在したりして、もうお見事としか言いようがありません。



らじゃー

では、ざっと。

①もはや日課、生活の中心的存在のスキンケア。
スキンケアとは何か?
情報収集、勉強のための動画視聴。

②スキンケア用品と、韓国アイドルのコラボ。たまたま知ったそのアイドルのダンスと歌声にハマる。

③ダンス、歌声などの解説動画の存在を知る。解説動画の面白さに引っ張られる。

④解説者のオススメが毎回視界に入るので、観てみる。

⑤オススメされていたグループが誕生するまでのオーディション記録動画を観始める。

⑥観終わる頃には、尿意すらも殺意を覚えるほどにヘリオセントリック占星術中心の日常が始まる。


と、こんな感じ。

なのですが、
いえす。

アイノーです。

⑤→⑥
ですよね。

細かいことは、改めて書かせていただくことになると思うので、とりあえず何が起きたのかを書いてみます。



オーディション動画を観終わって、おそらくすぐ、だったと思うのですが、
なんだか、いきなり来たのです。

!!!!!!!!!!

と。

体感的には、
ヘレンケラーが水を理解した感じに似ていたのではないかと思います。

これまでの人生における幾つかの場面が、フラッシュバックのように湧き上がり、ひとつひとつが全部繋がって、

「そういうことか!!!」

と。


先生のお話しされていること、書かれていることの、もちろんもちろん…かけることの




無量大数!!

ではありますが、
「全てを理解した」
わけではありません。

でも、少なくとも、一部分をはっきりと理解したのです。


自分が理解できた範囲で、自分に言える範囲でお話ししてみます。

それまでは、松村先生のお話しのほとんどが理解できていませんでした。



まず、
出てくる単語(例えば〇〇)がわからない。

その〇〇について、先生が説明をされたとします。

"〇〇がどのように、他のものと繋がるか、繋がるとはどういうことか…。"



はい。

いきなり、スタートで転びます。


〇〇がわかっていないから
「繋がる」に行けない。

〇〇が漠然とでも、イメージできていないと先に進めない。

進めないけど、進む、進んでみるしかない。

とりあえずこんな感じか?
そういう
「仮定」
を元にしながら、だったり
違っている「可能性」も捨てるわけにはいかないので、
考え得る「仮定」や「可能性」を抱えられるだけ抱えて歩き出す、進む

みたいな感じ。

そもそも 
だいぶ
いっぱいいっぱい
あるいは
かなり、というか
ほとんど何をやってるか、どこに向かってるかわからない状態で歩いているので、その先の

「繋がる」
は、もちろんイメージできていない。

そのイメージできてない何かが
何かと繋がる

当然イメージできていない
それについての説明。

「どのように」
も、
「どういうこと」
も、いくら説明されてもわからない。

説明は聞いた。
言葉は確かに耳に入った。

だけど、その新しい荷物を
説明を聞いた自分が今、
確かに新たに荷物として更に加えた「実感がない」

とりあえず荷物を新たに加えたこととして、更に先に進むしかないから、進んでみるものの、実感がないから、ずっと不安。

なんか抱えて歩いている
はず
向かっている方向は
こっちの
はず



全てが、
とにかくよくわからない感じ。
ていうか、全然わかってない。

暗中模索。
模索できているのかもあやしい。
おそらくただの
暗中。


途中で誰かに
「何持ってるの?どこ行くの?」
そう質問されたとして、

「えっと、丸くて赤いバスケットボールサイズのボールと、辞書サイズの青い箱と、白いお皿と…
あれ?ボールは赤だった?サイズはテニスボールくらいだったかも…。

そうだ!それをひとつじゃなくて、たしか3個。。
箱は…、もっと大きかった?あ!ボールは箱に入れないとだったかも?

いや、入れるのはお皿だった?
ん?お皿?お皿ではないな、えっと…

で、どこ行くんだっけ?」

ずっと多分、こんな感じだったと思います。


それが、一連の動画を観終わる頃には、すべてではもちろんありませんが、先生のお話しされること、書かれていることが
ブワワワワーーーーー!!!!
と、鮮やかに景色が広がるように見えるようになったのです。

それは、とてもリアルで、
何か画面のようなものを見るのではなく、

その世界に自分が居る

いきなり、そんなふうに
なった感じです。



少し話がそれますが、
以前、目が不自由な方が愛用されているアプリのことをどこかで紹介されていました。

それは外出される時に利用されているナビゲーションアプリで、目的地まで進行を音声で案内サポートするというものでした。

「こんな感じです」と紹介されたアプリの音を聞いて、聞いた方はびっくりされていました。
わたしももちろん驚きました。

めちゃくちゃ速いんです。
全然何を言ってるか、聞き取れない速さです。

ナビだけでなく、サポートとして愛用しているアプリは、大体このくらいの速さだと、その方は説明されていました。

その方は、生まれつきではなく、目が見える状態で成人し、仕事もされていて、ある日突然失明したという方なので、
このスピードが可能になったし、このくらいのスピードが自分には適切。必要。
ただ、見えていた時に知り得ていないものについては、聞き直したり、アプリの助けを借りても、ちゃんとイメージできているかはわからない。

そうお話しされていました。


何が言いたいかというと
「見る」
ということには、そこにある膨大な情報を受け取る
ということなのです。



!!!!!

と、なった時
松村先生は、これを
先生の見えている、知っている世界のことをずっとお話しされていたんだ!

わたしが
「!!!!」あるいは「理解」と
言わせていただいたのは、そういうことです。

盲目のアプリを紹介されていた方もお話しされていましたし、
ヘレンケラーを例に出してもいいかもしれません。

それを「既に知っている」
状態であれば、それを説明するための言葉がどれだけ速くても、多少ぎこちなくても、
「ああ、アレか」
となるので、正確さや詳細さも
必要最低限でよい
ということになります。

ですが、
「よく知らない」ものについて、
あるいは
「既に知っている面や部分はあるが、そうではない面をもつ」
とか
「理解が不十分」
そういうものについては、それを可能な限り

正確に

詳細に

説明する必要があります。



例えばヘレンケラーは、目が見えない。耳も聞こえない。話せない。

生まれつきその状態なので、見えたり、聞こえたりする人と

同じ世界に生きているのに、
同じように生きることができない

そういう状態だったわけです。

頭も正常、身体機能にも問題がなくても、自力で生きられない状態でした。

ヘレンが自力で生きられるようになるために必要なことは

自分自身も含めた
世界を理解すること

それさえ叶えば
ヘレンは自力で生きられる

サリバン先生は、そう考えたのではないかと思います。

まずは、
「ヘレンを理解すること」

ヘレンにとっての世界は、
ヘレンは自分自身を、
「どのように見えるか」
「どのように感じるか」

サリバン先生も、ヘレンになったことがないので、沢山の工夫や努力や発見が必要だったはずです。

でも、わかることも沢山あり、かなり正確に想像してみることが可能である部分があります。

ヘレンが、多くの人と同じように持っている、嗅覚や触覚、知能や身体機能を、
世界を理解するために必要な
回路として機能するようにするには?
「繋げる」には、どうすればいいのか。


ヘレンが水を理解できた瞬間というのは
ヘレンが世界の全てを理解できたわけではないし、
さらに言えば、「水」というもののある一部分を理解するのに成功したに過ぎません。

それでも、確実にひとつ回路が繋がった瞬間だったわけです。

そして「わかる」「理解する」
それがどういうことなのか
ということを知った瞬間だったとも言えます。

松村先生は、サリバン先生のように先生が知っている世界を、ありとあらゆる角度や方法で伝えてくれていたし、伝えてくれているのだ!

そして、先生はそこで生きておられる!

わたしたちも同じところに居るようではあるのだけれど、
「生きている」とは言えない状態で存在している人も多い。

肉体的な意味での
「生命維持」
それで充分、構わない。
そういう人も中にはいるかもしれないし、
「肉体的生命維持」を「生きること」だと思っている人も。

また、自力で
本来の意味での「生きること」をやっている。
できている人もいるでしょう。

でも、ヘレンにとってのサリバン先生のように、適切なアプローチやサポートがあれば
「生きること」ができるようになる人もいる。

できるならそうしたいが、どうすればいいかわからない人。



ヘレンがそうであったように、
「肉体的生命維持」をしていくことは、すべての人が何らかの方法でおそらく可能だし、サリバン先生に出会うことがなければ、肉体的生命維持がヘレンにとって
「生きている」
「生きていく」
ということだったでしょう。

サリバン先生は、
ヘレンをおそらく
最善、最適な形で
「生きていけるように」
手助けしました。

松村先生も、ヘレンにとってのサリバン先生のように
肉体的生命維持のような生き方ではなく
「生きる」ことを必要とする人に、
その人生すべてで語りかけ、手を差し伸べ続けているのだ。


松村先生についても
こんな風に言葉で説明する感じではなかったし、先生のお話しがこれまでとは全く違うように聞こえ出した時に、

なんて親切なんだ!
どんだけ丁寧なんだ!

そして、パズルのピースがはまっていくように、色付けや質感、空気感が増し、まるで音までが聞こえてくるように、

先生のお話しと
自身の過去から現在に至る様々な出会い、出来事の場面が次々にフラッシュバックのように湧いてきました。

オーディションの一連の動画を観終わる頃には、滝のように涙が止まらず、何度もしゃくりあげるくらいに泣けて困る状態になりました。

オーディション番組とヘリオセントリック占星術

繋がったみたいで
繋がってないですよね

わかります。

「なんかあったらしい」

だけが、多分
正確に伝わりましたね。

はい

なんかあったんです。




スミマセン

とりあえず

今回はそんな感じで。







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