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ヒカリノオト ⑥





雨も上がって
光がとてもきれいでしたね。




スカイハイ 
日高光啓さんとういう方。

全く知らないその方が
会社を立ち上げ、
ボーイズグループを誕生させるため、まずオーデションをやる。

ザファーストというのは、
その一部始終を記録し、
番組としてまとめた連続動画でした。

何となく見始めたその動画。

スカイハイ 日高さんとは、
一体どういう方なのか?
なぜ、何のために
会社を立ち上げたのか?
どんなグループを作ろうとしているのか?

ザファーストの内容が
あまりにも素晴らしすぎて
次々に、いろんな
「なぜ?」が湧いてきます。


一連の流れは、
まずオーディションという形で人数を絞り、その後合宿。

ダンスや歌の専門の先生にも参加してもらい、基礎的なことをトレーニングしながら、途中何度か審査をする。

審査の度。更に人数は絞られ、
最終的には、実際にデビューするグループを決めるというもの。

その内容、流れ、全てが
また驚くほど素晴らしく、
途中でたとえ落選したとしても、
一生ものになるような経験を得られる。

そして、トレーニングも
審査テーマや内容も
実際にデビューするにあたり、
必要不可欠な適性を見極めるようなもの。

日高さんは
「才能の
発掘および育成プログラム」
だと、仰っていましたが

まさに!!

一体何なんだ!?
すごすぎるんだけど!!


動画を見ている自分の中で
何が起きているのかを
把握できずにいました。



全ての活動の絶対的な基本、柱として。
また掲げているスローガンとして
「才能を殺さないために」
というのがあります。

なぜ
「才能を殺さないために」
なのか?

ご自身もアーティストとしてご活躍されているにも関わらず
「新たに」そして「グループ」
を誕生させる
そのために会社まで作る。
自己資金、一億円を投じてまで。


何でそうなった?

少し調べてみると、
日高さんはもともと、アイドルグループの一員として
活動されていたようですが、
その活動中にラップという音楽に魅力を感じ
挑戦を始め、現在のラッパーという状態に至られた経緯をお持ちの方ということでした。

決して
「アイドルとしての活動がうまく行ってないから」
という理由で始めたわけではなく、アイドルとして活躍している最中にご自身の中に湧き上がった
「自分はラップがやりたい」
という、まっすぐで
どこにも嘘のない理由で始めた挑戦だったようです。


ところが、当初は
アイドルとしての日高さんを支持してくれていた方々からは
「アイドルのままでいてほしい」
挑んだ先のラップの世界からは
「アイドルのくせに」

アイドルとラップ、
どちらにも居場所がないような
辛い状態が続いたそうです。

ラップの世界には
「バトル」というものがあり
対戦という形で、その実力を競い合います。

かつて、
当時の日高さんの、ラップの実力ではなく、
対戦相手が日高さんの「アイドルである部分」を攻撃したことが
そのバトルでの勝敗に大きく影響し、
負けてしまったことがあったようです。

ラップの世界での
レジェンド的な存在の方に
「お前の方がすごかった」
そう言ってもらえたことは、
慰めにはなったけれど
「アイドルなのに
   ラップをやっている」
それは厳然たる事実だったので、
当時はとても悔しかったそうです。

そして、今のご自分のことを
どこかでお話しされていました。

「長い間、
一生懸命自分を『米粉』にして
『麺』をやっていた感じ。

やっと『ごはん』をやれる!」

とはいえ
麺になってでも、第一線で活躍できたこと、活動を長く続けてこれた自分はほんとうに恵まれていたし、長期間続けてこられたからこそ身になったことや、知り得たこともあり、それはそれで十分すぎるほどに価値のあること。

長く居た、
その「場所」がどういう場所なのか。
その場所に、長く居るとは、
どういうことか。

そこがどんな場所であれ、自分自身のコアな部分との対話を止めず、そこから目を離さずにいたからこそ、
「自分でやるしかない」
「つくるしかない」
「自分 が やるべきだ」
という結論に至ったのだということが、後に色々散見してみてわかりました。

(ダンスや歌の才能があり、それを活かした活動をしたいと思っても、現時点では長く続いてきたシステムの問題があり、そのシステムに沿わない才能、合わせられない場合は例えば韓国に流れるしかない…というような。
つまり、既存のシステムにそぐわない才能を殺してしまうシステム)



ザファーストの動画の中では、
最初のオーディションで合格、
選抜された子たちが、何度か途中で新たにまた審査を受け、選抜されて行きます。

そこで、合格する子。
脱落という形になってしまう子。

毎回、驚いたのは
日高さんがその子たちにかける言葉でした。


それは常に、一切無駄がなく、
淀みや詰まりもなく、
最高、最適なものでした。


その言葉の最適さ。

沢山あるであろう、目の前にいるそのひとりの子に、今、かける言葉は何か?

その言葉の選択。その言い方。
どれもが毎回、本当に素晴らしい。


そして、その言葉は
目の前の、たったひとりの子に向けられた言葉であるにもかかわらず、見ているすべての人をハッとさせたり、救われた、報われたような気持ちにさせたり、深く改めて考えさせてくれたりするようなものだったのではないかと思いました。


日高さんから、
一貫して感じられること。
伝わってくることは、徹底して

「相手を尊重している」

その姿勢でした。

目の前のその子が、今ここに立っている。
ここに至るまで、どれ程の努力を積み重ね、どれだけ悔しい思いをし、涙を流してきたのか。

何があっても、絶対にそれは踏み躙らない。
絶対的にそれが揺るがないものとしてあるのは
「これを言ってほしい」
「これは言われたらしんどい」
が、
「わかりすぎるほどにわかるから」
それも、内包されてはいたと思うのですが、決してそれがメインではないように感じました。

尊重しているのは
「その子」ではなく
過去から今現在、そして共に活動していくという生き方になるとしても、そうじゃないとしても、
この先も続いていく
「その子の人生」 
そういう意味での
「相手を尊重している」

日高さん個人ではなく
日高さんの
これまでとこの先、それら全部を含んだ「人生」で
その子たち、ひとりひとりの
「人生」に向き合っている。
そんな風に感じました。

日高さんの言葉は、
目の前のその子の
これまでとこれからの人生において、今、この瞬間
「どのような言葉が必要か?」
そこにだけ照準があてられていたもののように見えました。


ラッパーというのは、言葉を厳選し研ぎ澄ましていく、そのセンスや能力が必須です。

そして、そこでの言葉は自分自身の内面や経験から出てきた、生まれたものを扱います。

日高さんの言葉に無駄がなく、秀逸であるのは、彼がラッパーだからということも、理由のひとつとしてあったかもしれません。

ですが、それ以上に
日高さんの言葉が、
目の前の「その子だけ」に届く言葉にとどまらず、見ているほとんどすべての人に響く言葉になったのは、
言葉という「矢」
その照準、ターゲットがどこに合ったものであったか。
その矢のようなものが、
そもそもどこから放たれたか。
それが最大の理由かもしれないと思いました。

その子たちに比較すると
圧倒的な密度、重さ、大きさをもった日高さんのアーティストとしての人生。

現時点で大きな差があるのだけれど、スタートからその子たちが今いるその過程は、ほとんどすべて熟知している。

圧倒的な密度、重さ、大きさを持つ。
それが例えば、大木のようなものだとして
今の目の前の彼らがリアルタイムで経験し、たった今その只中にいたりする、その状態は、まだまだか細く小さな苗木のようなものかもしれない。

大木は、苗木が経験してきた
そのほとんどすべてを

内包(経験、熟知)
しているものであると同時に

苗木が成長した 結果 や
苗木の 未来 のひとつの形でもある。

大木にとって、苗木はかつての自分に言葉を放つ、投げかけるようでもあり、
苗木にとって、大木の言葉は全く別の種類の何か大きな生命体からの言葉とは、違う響き方、「特別な届き方」をしたのではないか。


そして、それとは別に
そして同時に。


日高さんの
一貫して、徹底して

「相手を尊重する態度」

それはもしかしたら、
無意識的にすべての人が求める
「誰か」あるいは「他人」の
姿や態度
であるかもしれないし、

さらに言えば
誰もが無意識下で持っている
「そうありたい」
自分自身のあり方や態度
なのかもしれないと思ったりもします。

嘘や誤魔化しが一切ない
無意識下の自分も含めた
「こうあって欲しい」
「こうありたい」
そんな姿や態度を目撃してしまった瞬間。

もしかしたら
そういう時はもう
言葉が発せられるよりも前に、
見た人は受動態勢になってしまうものなのかもしれない。

日高さんの
ひとりひとりの目の前の子の
命や人生を
徹底して尊重した状態、態度。

そこには、揺るぎないものはあっても、力み、感情的なものは感じられず
放たれた言葉の矢は
目の前のその子だけでなく
見ているすべての人に、
それぞれの
様々な「真ん中」に刺さった。

あるいは無意識的に
受動態勢になって受け取ってしまった。

理想的とも言える
ひとりの人間の状態、態度。
そこに、
「居てほしかった」
「居て欲しい他人」
あるいは
「そうありたい自分」
を、一緒に見てしまう。

だとすれば、その人から放たれた言葉もまた、見ている人それぞれに「特別な届き方」をしたのかもしれないと思ったりしました。

ストーリーが続く中、
日高さんの言葉だけでなく、
その毎回の審査のテーマや内容が、なぜそのテーマなのか?
なぜそれをやるのか?
結果が出るたびに、
その見事さに驚きました。


ヘリオセントリックに
なかなか辿り着きませんが、
今回はこの辺で。












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