持つ者の10年、持たざる者の10年 #SZ10TH
自分に音楽の才能がないと気づいたのは小学5年の頃だった。父親の影響で赤子の頃から音楽に触れており、神童として(笑)小3から地元の吹奏楽団に入ってトランペットを吹いていたのだが、コンクールのソロで緊張から盛大にミスをしたのだ。とにかく練習の通りにできない。人前に立つと手が震えて頭が真っ白になる。失敗することばかり考えてしまう。4歳からコツコツ続けていたピアノも、発表会で全然上手く弾くことができずやる気をなくし、程なくして辞めた。吹奏楽はそれから高校3年まで続けたが、結局「練習だけ上手いやつ」止まりだった。高校のコンクールのソロも失敗し、ぼんやり思い浮かべていた音大への道も早々に諦めた。舞台に上がること、照明を向けられることは大好きだったが、期待されることが無理だった。どうしても、何をやってもメンタルだけがついてこなかった。
それでも舞台に立つ憧れが消えず、歌手になる夢を持った。大好きだったEXILEの妹分オーディションに行こうとしたが母に猛反対されそれもすぐに諦めた。歌手もダメなら、舞台演出を学ぶ大学に行きたいと思い芸術大学を志したけど、これも母に止められた。その後も舞台女優とか劇団四季とか色々考えたが、私は母を説き伏せるエビデンスも夢を貫き通す自信も覚悟もなかった。結局特別な誰かになれず高校を卒業して、地方の大学に進学し普通に就活に失敗してしょうもない会社に滑り込みで入社することになる。私は2度と舞台に戻ることができなかった。戻ろうともしなかった。
2021年5月1日、横アリにて。私は双眼鏡からSexy Zoneを見つめながら、自身の10年を振り返っていた。いつだって彼らと共にあった。でもつくづく、私はこの人たちとは違い”持っていない”10年を過ごしたなぁと思う。私は年長の中島菊池と同世代で、彼らがデビューするとき同じく高校生だった。東日本大震災があった年の11月。まだまだガキンチョでテレビ番組であたふたする様子を、まだ色々なものを"持っていた"私は鼻で笑いながら見ていた。あのときまだ私は無敵で、何も知らなくて、何にでもなれる特別な存在だと思っていた。
高校生。修学旅行のバスで「Sexy Zone」を茶化してみんなで歌ったこと。大学生。就活で自分だけ内定がないとき、風磨くんが慶應を卒業してアイドルになるのにたまらなく嫉妬したこと。心がしんどいときにケンティーのソロ曲「カレカノ!」をエンリピしたこと。ライブでファンサをもらったこと。毎週水曜に学校終わりに集まって少クラを見たこと。社会人。聡ちゃんが復帰して会社で雄叫びをあげたこと。結婚しても友達がSexy Zoneのことを好きでいてくれること。SixTONES派の社長と喧嘩したこと。
5人のことが大好きだ。顔が良くて明るくて仲が良くてちょっと理解できなくて、でもまだちょっと燻ってて芽が出そうでウズウズしている5人がどうしようもなく愛おしくていじらしい。彼らが歩んだ10年、私が歩んだ10年。濃さは全く違っても同じ長さの10年を過ごしてきたことがわかって、とっても嬉しかった。10周年ライブは素晴らしくて、泣けて、嬉しいものだった。私は10年前の夢を全部諦めてしまったけど、彼らが「Sexy Zone」を諦めないでいてくれて本当に良かったと思っている。
10年間ずっと輝き続けるのには、どれくらいの労力と精神力が必要なのだろうか。レンタルドレスも1日で汚してしまう私には、10年間も自分の名前と顔に傷がつかないようにすること、付いた汚れをすぐに拭き取っていくことがどれだけ大変か想像がつかない。
何万人の前に立って歌って踊ること、オタクを信じること、病気から復帰すること、彼らに起こった10年間の全てが奇跡だと思うし、どうしようもなく"持っている"男たちだなと思う。この10年彼らはずっとアイドルだったが、私は無敵の女子高生から平凡なOLになった。これからどうなっていくのだろう… でも何も持っていないということは、まだなんでも持てるということだ。こんな不安定な時代でも1秒でも長く、これからも一緒に人生を歩んでいけたらと思う。10周年おめでとうございます。そして私やっぱり「Lady ダイヤモンド」が一番好きです。