おじいが亡くなった日にマッチングした男とも付き合えないこんな人生

おじいが亡くなった。大大大往生だったし、前からある程度覚悟はしていたけど、胸が張り裂けそうなくらい悲しかった。コロナで地元に帰れず葬式にも行けず、おじいが亡くなったという事実をこの目で確認できないまま全てが終わってしまった。手を握ることもできなかった。最後に皺の一つでも触っておきたかったなぁ。

おじいはTHE・九州男児。大声で喋って笑う豪快な頑固者。多分ちゃぶ台は5台くらいひっくり返したと思う。お酒もタバコも大好きだけど孫ズのことはもっと好きで、こちらが引いてしまうくらいはちゃめちゃに可愛がられたものだ。おばあはそんなおじいに顎(結構シャクれてた)で使われながらも、60ウン年間専業主婦として一生懸命夫・家族を支えてきた。「喧嘩ばっかりだったけど、亡くなってからは笑顔ばっかり思い出す。寂しい」と呟くおばあの言葉に、なんて美しい愛なんだろうと涙した。「専業主婦になりたい」の「せ」も考えたことない孫からすると、旦那と子供のために何年も家を守るってとんでもなく難しい『超大型ロングプロジェクト』に思える。他人と家族になるって本当に覚悟がいることだ。私はそんな相手をアプリなんかで探して決めていいのだろうか…… また不安になってしまった。

おじいの訃報を聞いたとき私は仕事中で、こんなご時世オフィスを飛び出すこともできず、ただのおじいが亡くなった後の世界をいつも通り過ごすしかなかった。そこにはウザいお局も、忙しそうな社長も、飲みかけの炭酸水も、Twitterもちゃんとあって、いつもとなーんにも変わっていなかった。ただ、おじいがいなかった。私はおじいのことを考えると泣いてしまうから、推しのこととか、しょうもない芸能スキャンダルとか、焦点の合わない目で必死に調べながら手と頭をとにかく止めない様に動かしていた。

帰り道、おばあからの電話で崩れるほど泣いてしまって、でもおばあの方が悲しいのはわかっているから無理して笑って… ああ、私も泣いているときにとにかく話を聞いて抱きしめてくれる、弱みおおっぴろげにできる人がずっと側にいて欲しいと思ってしまった。またこんな悲しみが訪れたとき…おばあが亡くなったとき。私は孤独で乗り切れる自信が全くなかった。

一通り泣いて落ち着いて、出会い系アプリの「いいね」通知が溜まっていることに気がついた。こっちもいつもと同じかよ。喪中やぞ。どん底の気分だと、目も涙で滲んでよく見えないしガチで誰でもよくなる。適当にマッチした人から返事が来て、「運命;;一緒になろう;;」と思ったけど全然運命じゃなかった。もうメッセージがもうアレ…ナシなのだ。そう人生は上手くいかないよな。ありがとうおじい。少し早まりました。

きっと49日まではおじいが頭上や肩や一歩後ろ、カバンの中についてきてくれるはずだ。「孫の幸せが私の今からの幸せ」と言ってくれたおばあを悲しませないためにも、東京で一番幸せなOLになるからね。スタンドとして側にいてね。能力はそうだな〜 「触れた人の歯を永瀬廉くらい白くする」とかどうだろうか。モテそう。

私も一緒に墓に入ってくれる人、探すぞ〜