10.終活のお手本
その患者さんは、60代男性で、慢性骨髄性白血病でした。
抗がん剤治療の効果が期待できない遺伝子変異が見つかりましたが、それでも希望を捨てずに治療を継続していました。
しかし、ついにこれ以上の抗がん剤治療は適応外と判断され、退院とともに私たちが在宅診療で関わることになりました。
退院時はまだ、ご自身で家の中を動き回って生活できていました。
「やりたいことがたくさんある。(税理士で自営業だったこともあり)特に仕事の整理もしたい」と、意欲的な言葉を口にしていました。
しかし、わずか1週間後には、体の怠さが悪化し、ほぼベッドの上での生活になってしまいました。
輸血などのための外来受診も予定されていましたが、一度行っただけで非常に疲れてしまい、以後は通院も中断。輸血も自宅で行うことになりました。
退院時には余命半年との説明でしたが、この急激な変化から、当初の予測よりも確実に短くなっていると判断しました。
患者さんは、もともと自分の病状について全てを知りたいという意志を持っていました。
そこで、改めて残された時間が当初の予定よりも短くなっていること、このまま悪化すれば週単位、あるいは短い月単位での余命になる可能性があることを伝えました。
彼は「そうですか。わかりました。」と、特に感情を表に出すことなく、淡々と受け止めました。
その日から、彼は省エネモードに入り、あまりベッドから動かないように過ごすようになりました。
基本的にベッドの上でパソコン作業を行い、仕事の整理は電話でお子さんに指示を出しながら、着実に終わらせていきました。
トイレも、動くのが大変だからと、ベッドの横に置くタイプのポータブルトイレを使用するようになりました。
きっと、この省エネモードが功を奏したのでしょう。
小康状態を維持することができました。
頭痛、鼻づまり、肛門の痛み、吐き気、味覚障害など、様々な症状が悪化と軽快を繰り返しましたが、薬剤調整でなんとか対応できました。
食事量は減っていきましたが、ベッド周りの生活であれば特に介助なく生活できていたので、高カロリー点滴も行いました。
仕事の整理は無事に終わり、さらには葬儀の段取りまで準備していました。
自分が亡くなった後に何をすればいいのか、その流れを大学ノートにまとめていました。
税理士さんらしく、行政的な手続きについての手順もびっしりと記載してありました。
またお葬式については遺影の選定はもちろん、列席者の名簿、葬儀で流す挨拶文の音声データなど、できる限りの準備をしていました。
遺影は以前のふくよかな頃の彼で、屈託ない満面の笑みを浮かべていました。
今はやつれてはいましたが、同じ笑顔でその写真を見せてくれました。
私は、この患者さんから悲観的な発言を聞いたことは一度もありませんでした。
今を受け入れ、最期のゴールテープに向かって愚直に走っているようでした。
ただしそれは自分のためではなく、ご家族やこれまでお世話になった方々のためという気持ちが強い印象でした。
昨今、「終活」という言葉がよく聞かれますが、この患者さんが行った終活こそ、まさにそのお手本と言えるのではないでしょうか。
最期は突然に訪れました。
小康状態を維持していましたが、ある日激しい吐き気が出現し、その日のうちに旅立たれました。
振り返ると、退院から2ヶ月が過ぎていました。
2ヶ月の間には、苦しいこと、辛いこともあったと思いますが、自宅で愛する家族と過ごし、最期まで自分でやり遂げた達成感があったことでしょう。
きっと、彼は今、あちらの世界でもあの屈託ない笑顔で周りの人達のために過ごしているはずです。
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