人生は有限だとわかっている
人の喜びを自分の幸せに変換できる人間はこの世にどのくらいいるだろうか。
11月初め、結婚式を挙げた。担当のプランナーさんは、私たちの希望を汲み、できる限り叶えたいと心の底から思っているような人だった。私たちの気持ちに共感し、自分のことのように喜ぶ。できた人だなと思った。どうやって育ったらこんなに心の優しい人間は出来上がるのだろうかと思う。
生きていると自分のことで精一杯だ。趣味、仕事、結婚、自分のやりたいことが沢山ある中で、何を第一に優先するか、短い人生の中で決めるには難しい。それでも、時間は有限ではないとわかっているからこそ明確に決めなければならないとも思うのだ。
もし独身であったら、私はキャリアウーマンになって、仕事をバリバリしたかった。だか、今は平凡な主婦であり、誰でもできる仕事をパートとしてだらだらと続けている。なぜパートをしているかというと、結婚した今、仕事より家庭の方が大事だからだ。仕事は変えがきくし、私がいなくても回り続ける。私の1番大切なものは夫であり、一緒にいる時間だ。そうなると、必然的に責任が少なく、時間や休みの融通が効く働き方を選択した。だがそれは同時に、自分の可能性を自分で潰したのかもしれないとも思う。
仕事はやりたくないわけではないが、やりたいことでもない。好きでも嫌いでもない。自分の意思は空中に浮いているみたいだ。自分の好きを仕事にし、人に影響を与えるような人はかっこいいし、憧れる。自分もそうなりたいと思う。ニーズを汲み、ぴったりとパズルがはまるようなそんな技術や才能を持つには、努力が必要だとわかっている。
平凡な今はぬるま湯に浸かっているみたいな毎日だ。こうなりたい、これがしたいという理想があるならば行動を起こせ。口だけの自分が嫌いだ。もう25歳、まだ25歳。踠き、彷徨ってもいいじゃないか。自分がなりたい自分になれ。あー今日も頑張ったと疲れた体のだるさを感じて、生きてる!と思えるような日々を過ごしたい。