実家とのディスタンス ~戻れない夏~
そのセリフを言う度にむなしい気持ちになっていた。
いつか、こんな日が来るんじゃないかと分かっていたはずなのに気が付かないふりをしていた自分がいた。
「何かあったら、必ず連絡してね。」離れた場所で一人暮らす母と電話で話すたび言っていたセリフだ。
「分かってるよ、元気だから大丈夫。」
気丈に答える母のセリフも毎回変わらなかった。
そんな会話が出来ていた日々は一体どのくらい続いただろう。
取り立てて新しい事も起こらない日常で
同じ事の繰り返しの母との会話は、
毎日から3日おき、どんどん間隔があいていった。
最近では1週間。仕事が忙しいと
電話をかける事さえ面倒だと思った事もあった。
それが一変したのは、
全部ひらがなで書かれた
意味の分からないメールを受け取った時。
どうやら、どこかを痛めて
入院でもしているらしい。
「え、どうしよう」
たたずむ事しか出来なかった自分。
母は大変な中でちゃんと知らせてくれたのに…。
入院している事が分かった途端、
どうしていいか
考えられなくなった自分がいた。
身の回りの世話は
少し離れた所に住む弟がしてくれている
ようだけど、
感染者が日々増えている所から
田舎には戻れない。
おまけに病院にお見舞いなんて
行ける状況じゃない…。
何もなければ少し早い父の初盆のために
帰省する予定だった。
仕事も必死でがんばって
準備していたのに…。
何もかもがダメになった夏。
戻りたくでも戻れない夏。
無理をして帰省をした所で
感染予防のために
面会は1日10分に限られているという。
しかも、田舎では生活の全てが車のため、
ペーパードライバーの私が帰省しても
役に立てる事はない。
そうか、母が元気な時、
「何かあったら連絡してね」と言った後、
いつも感じていたざらっとした心の感触は
”どうせ何も出来はしないのに
口先だけきれいごとを言う自分”が
許せなかったからなんだ。
現実に母が入院し、遠くに住む私には
祈る事とメールする事しか出来ない。
ガラケーしか持たない母は
メール自体が苦手で、
私の送ったメールへの返事さえ
来ない日が続いている。
仕事と子育てで多忙を極める弟に
詳しい事を聞く事は出来ない。
父も亡くなり
田舎で仲良くしている親戚もいない。
「私は母の状況を知る事も出来ない。」
いやでも実感させられる日々。
早くに嫁ぎ、
実家から遠く離れた場所で
暮らす私と田舎で一人暮しをする母の
ディスタンスは途方もなく遠い。
今までは新幹線に乗る時間や距離だけの
遠さで済んだのが、
今は感染させるのではないかという恐怖の
心理的なディスタンスの方が悩ましい。
この夏、実家に戻れない、
遠く離れた実家から
帰省する事を歓迎されない人が
いるかもしれない。
その胸中は複雑で寂しさだけでなく
不満もあるのかもしれない。
ネガティブに考えて行くと
やりようのない気持ちが膨らんで
落ち込んでしまう事もある。
ただ違う視点で考えると、
これは自分と家族や親戚の関係を見直す
いい機会なのかもしれない。
そして例年の慣習を見つめ直す機会
なのかもしれない。
何も出来ないと
自分のふがいなさを恥じるより
出来る事を探す事や、
今後の母とのコミュニケーションの
別の取り方を考える事。
田舎に戻った時に車に頼らない
移動手段を確保する事など、
やる事もやれそうな事も沢山ある。
状況を見ないと分からないけれど、
盆休みに帰省が出来るとして、
母の退院が同じ時期であってくれたなら、
退院後の世話は少しでも出来るはず。
入院が続いていても
実家の掃除などは出来る。
ただ、夏休みギリギリまで実家にいる事に
なるとしたら、
例年より早く始まる2学期の準備を
しっかりしておかなければならない。
「出来ない事」「出来なくなった事」
「もう戻らない事」
「昨年まではやっていたのに今年はやれない事」
に心を持っていかれると
足元や過去ばかりに意識が行ってしまい
前に進めない。
「今、自分に出来る事」
「これから出来そうな事」
「今だからしようと思う事」
「今年だからやれる事」に、
心を向けて少しずつやっていけば、
それは確実なステップとなる。
そう自分に言い聞かせながら、
今日も連絡がなかった
スマホの画面を見つめ、
遠くの病室で足の痛みと
たたかっているだろう母を想う。