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その生き方は誰のため? ~家族という幸せな鎖~
“パタン“ ドアが閉まる。そこは秘密の部屋。余程の事がないと入れない特別な空間。父の小さな書斎だった。
先月、人生の幕を閉じた父。年末年始、実家に帰省している間に、父のものを片付けようと入った部屋。主人を亡くした部屋は寒々として、もの悲しい。
そこは、父が唯一“自分”に戻れる場所だったのだろうか? 父が亡くなり、初めて、その部屋をゆっくりと見回す。
部屋の中には、趣味の茶道具や仕事の資料、宗教の本などが、几帳面に整理されている。
何も知らない人は、この部屋を見て、いかにも父らしいと思うだろう。
でも、私は違和感を感じる。回りから期待されたイメージ通りの部屋、そんな感じだ。
昔、一度だけ父から聞いた事がある。「俺なあ、本当は詩とか文章を書く仕事がしたかったんだ」
「お父さん、こんな自分しか入れないようにしてた場所にも、本当に好きなものは置かなかったの?」「それとも、望まない教員の仕事と、理想とはかけ離れた家族との生活で、自分の好きなものは手放してしまったの?」
生きている時は、気難しく自分勝手で、母がいないと何も出来ない人だった。私が中学に上がるまでは、ささいな事で殴られ蹴られ、激しく憎んだ事もある。
なのに、今、父のものにあふれた空間に身を置くと、父にも父なりに夢や希望があり、本当はやりたかったけれど、やれなかった事がたくさんあったのではないかと思えてくる。
それは親の決めた相手と結婚させられ、私達が姉弟が生まれたから? 京都で学生時代を送り、そこで就職したかったのに九州に連れ戻され教員にさせられたから?
「あなたの人生は、私達家族のためのものだったの?」
父の、何ひとつ自分の思い通りにならなかった人生で、唯一自分の意思を曲げなかった事、兄弟の会社の借金の連帯保証人になる事だった。
そのせいで、莫大な借金を背負い、家族も苦しみ、親戚関係もうまく行かなくなり、最後まで借金の返済を助けてくれなかった祖父母へのしこりを残したままとなった。
さらに、喉頭がんとの闘い、教員復帰後の望まない学校への赴任、借金返済等で精神的に追い詰められた父は休職し、そのまま退職。
退職後、帰省の度に聞かされる昔の仕事の自慢話と、ふと透けて見えるコンプレックス。同じ教職に就くものだからこそ分かる中途半端な辞め方をしてしまったやるせなさ。
結局、生まれ育った土地に住めなくなり、母の実家の農村で暮らす事になった晩年。誰も自分の事を“先生”と呼んでくれなくなった事が教師としてのプライドを傷つけ、地域の中で孤立を深めたのだろうと思う。
部屋に残された父のノートの文字。よく使っていた文房具。昔使っていた仕事机。父の思い出の詰まった空間は切なくて、あたたかい。
「お父さん、あなたは誰の人生を生きたの?」
こんな問いかけは無駄なのかもしれないけれど、残されたものにとっては大切な道しるべとなる。
「私は私の人生を生きているのだろうか?」
「子供達はどうだろうか?」
父や私の世代のように、家族を持つ事が当たり前で、その、優しく残酷な鎖につながれる暮らしを選ばざるを得なかった時代もかってはあった。結婚も子供を持つ事も自由になった今。
「あなたは、あなたの人生を生きていますか?」
「いつのまにか、誰か他の人のための人生になっていませんか?」
それとも…。
「家族のための人生の方が頑張れますか?」
ふと、人生に行き詰まりを感じたら、そんな事を問いかけてみてもいいかもしれません。《終わり》