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沖縄移住当日の空の上で
ついに、沖縄移住当日がやってきました。
昨日は緊張していたのか、寂しかったのか、なんだかあまり眠れませんでした。
いまは沖縄行の飛行機に乗っていて、空の上です。
いままでも何度も沖縄へ飛ぶ飛行機の中で記事を書いているのに、今日はなんだかこれまでと違う感じ。
今日は、いまの気持ちをばーっと書きなぐろうかと思っていたのですが、いざ書いてみるとなんだか筆が進まず。(タイピングなので指かも🖐🏻)
今日見送りに来てくれた家族と、親友に向けて感謝の気持ちを整理する文章をここに綴っておこうと思います。
もちろんあとで本人たちには、メッセージ形式で送ろうと思います。
まず、父にむけて。
わたしの父は、わたしとすごく似ていて繊細で怖がりで、でもとても勇敢で、まるで武士のような人。
わたしにとって、世界で一番尊敬する人でもあります。
わたしの家族は、父の両親と同居する二世帯の住居で暮らしてきました。
父と父の両親、つまりわたしの祖父母はすごく関係が悪く、簡単に言ってしまえば父は毒親育ちです。
もう何年かすると定年を迎える年になった今でも、父は自分の両親へ怯え、心を支配されています。
父はそれを情けないと思っているのですが、わたしは父がその負の関係性をしっかりと自分の親との関係性にとどめ、母とわたしたち姉妹にたっぷり愛情を注ぎ、祖父母から守ってきてくれたことにとても感謝しています。
父は自己肯定感なんて言葉が生ぬるいくらい、心を病んでいると幼いころから感じていました。
それでも、母を専業主婦にし、わたしと妹は私立の学校に通い、空手の遠征で何度も海外に行かせてもらって、恥ずかしい話ですが「奨学金」という言葉は社会人になって同期に聞くまで、制度を理解していないほどお金に困ることなく大人になりました。
お父さんは本当にすごい。
自分が辛いとか、悩んでいるとか、そういうことよりも他人への愛情に溢れる、優しい人なのです。
これから離れて暮らすことになり、祖父母からの影響が心配でたまりません。
移住前最後の一週間は実家で過ごしたため、これからは自分のために生きてほしいとたくさん伝えました。
少しでも伝わっていることを祈ります。
そして、祖父母から解放される方法もたくさん一緒に考えました。
そのことはここには書きませんが、全て上手くいって母とインコの妹たちと、父がずっと飼いたいと言っていたわんちゃんたちと、自由に幸せに暮らしてほしいです。
それから母。
わたしの母は、まるでサイボーグのように感情が読めないと周囲から言われている人です。
わたしは人一倍人の感情に繊細なところがあるのでなんとなく感じられるのですが、もう30年連れ添っている父ですら感情が読めないと頭を抱えています。
母の幼少期のころのことは分かりませんが、たぶん父と結婚し、父の両親からの攻撃を受けることでそうなったのかなと勝手に想像しています。
母はとても強い人で、母の父が亡くなったとき以外、わたしは彼女の涙をみたことがありません。
でも、大人になったいま、そうでなければ生きてられなかったんだろうなとも感じます。
わたしと妹を育てるために、強くなってくれたのだろうなと。
昔から、母の実家の福岡や、親戚一同のいる鹿児島へ帰省すると、母が表情豊かになり、若返るように感じていました。
よっぽど実家が好きなんだな~、福岡も鹿児島も良いところだもんな~なんて思っていましたが、たぶんあれが本来のお母さんなんだろうな。
母はずっと専業主婦でしたが、いま思えば逆に大変な思いをたくさんしてきたかもしれません。
祖父母と過ごす時間が一番長いのは母ですし、母が召使のように扱われているのをわたしたちも見てきました。
それでも、心を折られず、むしろ気の弱い父を支え続け、わたしたち姉妹を守り育て上げた母はわたしの憧れる人です。
わたしも子どもを産むときは、お母さんのように強い母親になりたいです。
これからも、わたしの家族の影のリーダーであり続けてほしいです。
そして、今日大学のある青森からわざわざギリギリ会える便で羽田へ飛んできてくれた妹へ。
わたしの妹は、すごく明るくてさっぱりした可愛い子です。
わたしとは結構違うかも。
わたしの名前には「月」という字が入っていて、妹の名前には太陽を表す「日」という字が入っているため、昔はわたしが暗くて妹が明るいことがコンプレックスでしたが、いまは親友のような存在でいてくれています。
彼女はわたしより早く関東を離れていて、それはわたしにとってすごく勇気ある選択に思えています。
なんでもある関東から出るなんて、わたしには考えもつかなかったから。
彼女とは少し年も離れているし、わたしに対しては甘えた態度をとってわざといろいろやってもらおうとするところもあるけど、本当はわたしより強く、しっかりした子だと知っています。
とくに、以前精神疾患について相談したときに言ってくれた言葉は、いまも、これからもわたしの心の支えであり続けると思います。
「病気の名前は、診断する側が識別するのに楽だからつけるのであって、わたしは個性だと思っているよ」
医学を勉強する彼女の言葉だからこそ、心打たれるものがありました。
末っ子らしく甘えん坊でわがままな妹ですが、これからも彼女らしく生きてほしいと思います。
最後に、わざわざ休みを取って見送りにきてくれた親友へ。
彼女とわたしは小学生のころからの付き合いで、空手道場で知り合いました。
何度も殴り合い、蹴り合いをしてきて、何度彼女の顔を蹴っ飛ばしたか、そしてわたしは何度彼女に試合で負けたか(彼女は本当に公式戦が強く、わたしは本当に練習が強いタイプでした😂)わかりません。
もう本当に数えきれないほど。
そしてそのおかげか、わたしたちは一度も喧嘩をしたことがありません。
そういえば、遠征では妹と三人部屋で何泊もしてきたりも。
姉妹のように過ごしてきまし
披露宴でも、友人代表スピーチをお願いしましたし、なんなら親族の出席者が少なすぎるわたし側の親族席に座ってもらい、なんと家族写真にも映り込みを両家から許可され、夫の家族との飲み会にも参加するような不思議な仲です。
わたしは全くお酒が飲めなくて、彼女は大のお酒好きで、大人になってからの飲み会のお誘いはお断りすることも多く寂しい気持ちにもたくさんさせてしまった気がしますが、それでも親友で居続けてくれたことには感謝しかありません。
わたしが適応障害になって、家を出るのも厳しいときは人気の少ない田舎の寿司屋まで車で連れて行ってお寿司をご馳走してくれて。
外出が続くとすぐに調子を崩すわたしを気遣ってそんなに頻度高くは会わないことも許してくれて。
(本当は彼女は毎日だってだれかと飲みたい食べたい人)
今回はまさか仕事を休んで空港にきてくれるとは思いもしませんでした。
そして沖縄の家族にお菓子のお土産まで用意してくれて…
わたしは友達が少ないほうだけど、一人でもこういう友達がいてくれるだけで十分だと改めて感じました。
すぐに沖縄へ会いにくると言ってくれているし、再開したときはたくさんもてなせるように観光の勉強をしておこうと、ひそかに心に誓いました。
空港でも大号泣だったわたしですが、これを書いているいまも、涙で瞳が潤みます。
沖縄行は自分で望んで選んだことで、決断したことですが、やっぱり不安だし寂しさも、たくさん感じています。
こんなに切なく苦しい気持ちは、沖縄の暖かな気候と陽気な家族たちに会ったら吹っ飛んでしまえばいいのにと思う気持ちと、この感情をずっと忘れたくないと思う気持ちが半々です。
とにかく夫の実家につき次第、これからよろしくお願いしますの挨拶をきちんとし、自分の家族と親友へお礼の連絡をしたいと思います。
花嫁の手紙のときは、来場者皆の前で読まなきゃいけないから、人目を気にして本当の気持ちがなかなか書けませんでした。
だから、いい機会だよね!
しばらくは慣れない環境での生活で、気持ちの落ち着かない日々が続きそうですが、自分のペースで適応していきたいなと思います。
なんだかここ最近ナイーブなうたたねですが、これからも元気な日も元気じゃない日も、たくさん記事を書いていきたいです。
沖縄での暮らしのことも記事にするので、楽しみにして頂ければ嬉しいです🏝️
うたたね🪻
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