絶対に死にたくない人、死恐怖症って知ってる?
みなさんがこの世で一番恐れていることって何ですか?
僕は断言します。死です。
何があっても最後の一人になろうとも絶対に絶対に死にたくないです。
死ぬなら何歳がいい?とかいう質問をされる時がたまにあります。いつも面倒臭いから100歳とか200歳とか答えているのですが、本心では永遠です。∞歳です。
こういった僕のような思想の人は世の中に一定数いるらしく、その名前を「死恐怖症(タナトフォビア)」と言うらしいです。
初めて聞く人からしたらちょっと病的に聞こえてしまうかもしれません。
死恐怖症とは一体何なのか、そしてそのの思想を持つようになったきっかけは何なのか?死恐怖症の人はどんなことを考えているのか?を当事者の超主観的な目線で語っていきたいと思います。
死恐怖症(タナトフォビア)って何?
先程も軽く説明しましたが、死恐怖症は死の恐怖症です。
集合体恐怖症、先端恐怖症、対人恐怖症等と同じように恐怖症の一種です。
人は誰しも死に対する恐怖を持っていると思います。当たり前です。人が死を恐れなかったらとっくに人類は滅亡しています。
ただし、死恐怖症は常に死に怯えている、そしてひどい時には発狂しそうなほどの絶望感を感じる、ある意味病的に死を恐れている人達です。
自分が、あるいは他の人が死ぬと言う絶対に変えられない決定的な事実に絶望する恐怖症です。
もっと具体的に話していきます。
先に言っておきますが、これは僕の場合なので必ずしも全員に一致するわけではありません。ただ、死恐怖症の人達の多くはこれから言う、僕と似たような経験があると思います。
常に頭の中には死がある
何をしていても少なからず死を意識しています。楽しい時、熱中している時はその意識が薄いです。
しかし、
映画館のエンドロール、暗闇、ふと授業中時計を見た時、寝る前(朝起きたらこのまま目覚めなかったらどうしよう)、お風呂に入っている時(家の中で一番人が死ぬ場所はお風呂)等、、死を連想される場所ではその意識が強くなります。
死に対する強い絶望感が押し寄せてくる時がある
時には強い強い避けられようの無い深い絶望感に襲われ発狂しそうになる、一種のパニック障害みたいになることがあります。
この状態は何もしていない時、頭が空っぽの時にしかなりません。
なので必然的に家で寝る前かお風呂場でしかならないです。
外では一回もなったことは無いので安心してください。
この絶望感は例えるならば「大っ嫌いなマラソン大会がある前日」、「めちゃくちゃ怖い先生に今から怒られに行く時」の絶対に避けられない辛いことを今から経験しなくてはいけないと言う辛さ。この辛さを何十倍にも煮詰めたような絶望感です。
と、まあこう言うと絶対精神病じゃんって言われるかもしれないけどこれを回避する方法を数年前に見つけました。これについては後で書きます。
死恐怖(タナトフォビア)の思想になったきっかけ
死恐怖症の人の話を聞いてるといくつか共通点があります。
その多くは「死」について幼い頃に気づいた事がきっかけです。
僕もその一人です。
幼い頃、おそらく幼稚園の頃に僕は、自分が死ぬ事、そして家族がいつか必ず絶対に死んでしまう事に気付きました。
それはふとした時です、この受け入れがたい不変の事実がショックすぎて、当時の僕には 受け入れ切れないくらいでした。
そのため、僕は毎日のように夜になると母親に何故自分は、人間は死ななきゃいけないんだと泣きながら質問しました。
もちろん納得するような答えは帰ってきません。
当時の僕は図鑑をたくさん読む子供でした。生物の図鑑や宇宙の図鑑も食い入るように読んでいました。
その中で、人間が何故死ぬのか、システムとしての「死」を知っていました。
それと同時に人が死んだら脳の電源がオフになり「無」になってしまうということを知っていました。
だからこそ、納得のいくような答えが帰ってこないのも今ではわかります。
死とは生物が種として続いていくためのシステムでありルールです。 どんな細胞も原子も太陽も星もいつかは崩壊し、無くなってしまいます。
人間が、自分だけがその絶対的なルールから外れる訳が無い。そんな事に幼いながら気づいてしまったからです。
死恐怖症の人は神を信じていない
では何故、そこまで死に絶望するのでしょうか?
それは「死」=「無」だと考えているからです。
もし、天国が存在するならば、もし、望むなら幽霊になって現世に残る事ができるのなら、僕にとって死は今ほど怖いものになっていないと思います。
しかし、残念ながら僕は超現実的な人間です。
神や幽霊等、宗教的なものを全く信じていません。もちろん、それに相当する「何か」が存在するとは思います。
例えば、神に祈る事によって自分の中で強い執念になり、それを実現する事ができる、とか、科学でわかる事、あるいは何か今の科学では解明できない科学的な現象によっってそう言った超常現象的なものは現れると思っています。
人間がそんなに特別なわけは無いと思っています。
原子も星も細胞も人間も動物も植物もみんなみんな最終的には無くなるルールがあります。
死とは人間の心臓と脳味噌の電源がオフになる事です。人間の知覚はパソコンの画面です。電源がオフになり、何も映らなくなる、何も感じなくなる。
それこそが「死」であり「無」であると考えています。
こう言った考え方の人は今の日本の無宗教の若者に多いと思います。
神を、天国を信じていないから死が怖いんです。
だから結局、死が怖いと言うより自分が、他人が無になるのが怖いんです。
更に言えば無になる事によって自分の記憶と自己、そして楽しいことを感じれなくなる事、地球の・宇宙の行末を見届けられない事に絶望しています。
死恐怖症(タナトフォビア)というものを知ったきっかけ
それは数年前、例の如く寝る前絶望していました。何とか気持ちを落ち着けようとスマホで「死にたくない」と検索しました。
そしたら出てきたのは末期癌の人のブログでした。
そう言う事じゃない、、
続けて、「絶対に死にたくない」と検索してみたらまた違ったブログがヒットしました。
そのブログには「死恐怖症」について書かれていたのです。
そうです、実は僕はこの時初めて「死恐怖症」について知りました。
自分のこの「絶対に死にたくない」執着はただの思想だと思っています。
例えるなら巨乳好き、右翼、楽観主義者と同じように、誰もが持つ個性のような思想の一つだと考えています。
なので特に人に言ったりすることもなければ調べることも無かったわけです。
ですが、最近になってやっと逃げるように意味も無くネットで調べてみたわけです。
そこで知った「死恐怖症」とその当事者がブログで綴っていた経験は自分とピタリと当てはまっていました。怖いくらいです。
しかも、そのブログにはその人以外にも有名な人の何人かは死恐怖症だと書いてあったんです。
あのホリエモン
そのブログではあの実業家のホリエモンについて紹介されていました。
どうやらホリエモンも死恐怖症らしいです。
実を言うと僕はホリエモンがあまり好きではありません、ワガママで自己中心的で横柄です。
しかし、その理由もわかりました、彼は残された数少ない時間を自分の為だけに使いたいんです、1秒も余すことなく。
何だか親近感がわいてしまいました。もちろん、好きにはならないけど。
そしてホリエモンはこの恐怖から逃げる方法を見つけたらしいんです。
死の恐怖から逃げる方法
それは超シンプルでした。頭の中に死が入ってこないくらい頭の中の要領を他のことで埋め尽くすこと。
つまりは、わざと忙しく充実した毎日を送ることです。
好きな事、やりたい事に熱中すれば死を考えている隙間はありません。
確かに思い返してみれば、何かに熱中している時には死に絶望なんてしている暇は無かったです。
発狂しそうなくらいの恐怖が押し寄せてくるのはいつだって暇な日の夜でした。
そんな超シンプルな方法を知ってから、常に自分が好きな事に没頭し、常に忙しくなるようにしました。
そしたら何と、この深い絶望感に襲われることはほとんど無くなりました!やったね!ありがとうホリエモンさん!
(もちろん、死を全く忘れることなんて無いけどもそれは薄っすらとです)
死を意識して生きる
と、ここまで読んでちょっと暗い話に感じてしまう方もいると思います。
僕が死を絶望すると同時に死恐怖症であることを絶望してしまっていると、
しかし、そんなことはありません。
僕は自分が死恐怖症でよかったとさえ思っています。
死に絶望することも多いけれども、人一倍生きることの楽しさ、素晴らしさ、ありがたさを噛み締めて生きていると思います。
生きることって超楽しいです、生きている限り地球には面白いものが生まれ続けています。
そして、自分に終わりが来る事を知っているからこそ1秒も残さず人生を楽しい時間で埋め尽くそうと思っています。
そんなことを幼い頃から人一倍感じ取る事ができました。
生きることの喜びから離れたく無い思想こそが死恐怖症だと僕は考えます。
最後に
偉そうなことを言ってしまい申し訳ございません。
最後いい感じに文章をまとめてみたかっただけです許してください。
死恐怖症についてなんて人に言ったことほとんどありません。
しかし、自分の中で言葉としてようやくまとまってきた感覚があったのでこの際文章にして形にしようと思いました。
ここまで読んでくれた人っているのかな?
この僕の個人的な思いを発散するだけの長い文章をここまで読んでくれた方がいましたら、心から感謝の気持ちを申し上げます。
ありがとうございまいました。
地球には色んな人がいて、それを分類するための言葉がたくさんあります。死恐怖症もその一つだと思います。
今回この文章を読んで「ふーん、こんな奴もいるんだ」位に思っていただければ幸いです。
今日も明日も一緒に人生を噛み締めて楽しんで生きましょう。
それでは!
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