私が終わる時を考える
著名人が私の住む街でこの世界から旅立った。その著名人について私はファンでもなく、よく知っているという立場ではないので何もいうことが無い。ただ、雪のない季節に職場から自宅まで、歩いて帰る時必ず通る道沿いにある場所がその現場だった。私がデザイナーとして初めてデザイナーらしい仕事をしたのもその場所の仕事だったと思う。だからなのか、妙にリアルだった。
自死についての考えを記すので、センシティブな人はこれから先は読まないでほしい。言うほど大したことは書かないと思うけど人の心は髪の毛1本分くらいの些細さで転がっていく物だと知っている。
友人と将来の不安についてした会話の中で「最悪、死ねばいいし」と何度か話したことがある。その人も私と同世代で独身で(彼女はバツイチだけど)子どもがいない。養うものは自分だけという状態。現状維持が精一杯で、この先よくなる見込みなんてないし将来劇的に何か変わるとは思えない。氷河期世代だからなのか、安定した雇用を得て生活できてる。というだけで、及第点だと自分を納得させることができる私たち。にっちもさっちも行かなくなっら残すものはないから死ねばいいよね。そんなことを定期的に言っている気がする。同じような立場の高校の友人が似たようなことをツイートしていたのでもしかしたら中年独身女性によくある気持ちなのかもしれない。
メンタル的な問題とかはあるだろうし、生きてる以上自分が無関係だと思う方がおかしい。鬱よりもリセット的な意味合いが強いと思う。家族がいない分未練が少ないんだと思う。だから多分ね、母親がいなくなったら私はその時が来たら自分で旅立てると思うんだよね。今はまだ親がいるからやらないだけだけど。父は祖母より早く旅立ったので余計にそう思うのかもしれない。でも自分がそうするならパークハイアットの良い部屋泊まって朝食食べてからが良いかもな、でも朝食って食べたら今日を生きる気力出ちゃうよね。タイミング逃しそう。パークハイアットは小娘で尻軽だった頃に、クリスマスにそこそこ良い部屋に泊まった思い出があるね。彼は本命の予定が取れなくて私と過ごしたとか言ってた。そんな若気の至りの記憶。
いつ死んでもいい思うのは後ろ向きな印象だと思うけど、私にとっては好きなこと好きなようにやってダメだったら選べる選択肢として輝いている。まあ、妹がいるので後始末の負担は少なくしてあげたほうがいいかな?って思ってる。今のところは、まだ好き放題できてないので死にたくない。死ぬ理由もない。ただ本当にどうしようもなくなれば自分で終われるんだという意識が御守りとして存在している。
でも怖いから一番楽な方法が良い。今の所の最有力は泥酔して真冬の夜に道で寝ちゃって凍死なんだけど、その場合は季節を選べないから思い立ったら吉日ができないのが難点だよね。だから結局実行なんてしない。そう思ってるだけ。
こんなことを年末の下書きとして残していた。年明け最初の更新としてどうよ?感がすごい。でもアップしちゃうよ。
読み返して気がついたけど、これまんまチャーリー・カウフマンの「もう終わりにしよう」思想だわ。あの映画だわ。と気がついたのでリンクをはっておきます。ていうかnoteのイベントもう2月最初で終わるのにエントリーまだ2本だよ!無理だね!まいっか。とりあえず脳の中身を吐き出したいだけなんですもの。