モノローグ『宇宙と話す』 #1
私は文章を書く仕事をしていて、普段は、小説とかエッセイを書いたりしている。
小説は2つ書いていて、別々の文芸誌で連載している。エッセイは新聞の紙面に小さく載っている。毎週書いているからネタが尽きそうになる。
ネタが尽きないように、外出をすることを心がけている。誘われたら大抵の遊びは断らない。だから、友人たちからはいつでも遊べる暇なやつ、数合わせに最適っすね。って思われるに違いない。それでも良い。私は良い文章が書けるようにそう生きているだけだから。
西高東低。この季節に外へと出かけると、鼻の奥が乾燥して仕方がない。鼻の奥に直接噴霧して湿度を保つスプレーを買ったが、人前で使えないという欠点がある。だから結局マスクを着けてしまう。毎日のように消費されるマスク。ヒートテックと同じくらいに必須になっている。冬の三種の神器は、ヒートテックとマスクとマフラーだと思う。数百年後には各地の寺社仏閣に奉納されているんじゃないかってレベルだ。
このあいだ、友人に誘われて出かけた先で、今までに見たことがない建物を見た。その建物はパッと見では普通なのに、じっくり眺めると分かる。それは、とてもすごい柔らかい素材で出来ている。ビニールとか布とか知ってる素材じゃなくて未知の素材で形になっている。プリンとかゼリーが建築の体をなしているようだった。感動して早速そのことをエッセイに書いたら、読者からのリアクションが過去最多になった。どこにあるんですか?本当にあるんですか?嘘を書いても良いと思っているんですか?とか。中には罵詈雑言が過ぎて、人間に対して言っていい言葉じゃないだろみたいなのとかあったけど、見たのは事実だから仕方がない。翌週の紙面には、お詫びの文章なんか掲載せずに、その後もそのままそのまま連載を続けていた。そのうちに騒ぎは落ち着いて、誰も疑問のメールを送ってくることは無くなった。
この騒動で知ったことは、エッセイを読みに来る人は、リアルを求めて読みに来ているということだ。私は、エッセイだろうが小説だろうがノンフィクションだろうが、面白い文章を読みに来ているだけだから、現実とのギャップとか距離とかそういうところは考えたことも無かった。強くそういうところに面食らったって言うか、もっと純粋に楽しめば良いのにって思う。何かを考えている脳みその場所が、浅いんだろうなっていうか、楽しく生きるつもりが無いのかな。浅い脳みそ人。直感だけで生きていてとても猿に近い。
そんな浅い脳みそだけに私がなったとしたら、それは非常に悲しい。というか脳みそだけになんかなるはず無いか。身体があるから脳みそもあって、脳みそがあるから身体もあるって感じで、双方が双方に依拠して存在しているはず。全身で体験したことが楽しさにつながったり、悲しいことを思うから身体から力が抜けていったりするように、持ちつ持たれつな関係だ。そもそも論で、どっちかだけとかそういうことを考えている時点で、私に罵詈雑言を送ってくる猿と同じレベル?純粋に楽しめよ。お前の人生、あと数十年だろ。無駄にすんなよ。なんのために生きてんの?とか、そういうことが一気に頭に一杯になってしまう。誰とも分からない匿名の誰かに対して。そんな時間も無駄で、楽しく生きるためには必要のない時間だろうな。
とりあえず小説の続きを書こうと思う。だってさっきから、編集者からの電話が鳴り止まないから。きっと今回の稿も私なりの表現を切り取られるんだろう。私はきっと自分を軽く曲げてその意見に賛成をする。良い文章が書ければ、出来上がれば、この世界に増えれば、それで私は良いや。