見出し画像

遠くから近くへ、

千葉県から、東京の大学へと通っている。
家から最寄りの駅までの道は自転車で移動している。
私が自転車に乗れるようになったのは、きっかけがあって、とても突然に乗れるようになった。突然乗れたと言っても、もちろん練習はしていた。練習をする時には、祖父が広い公園に連れて行ってくれて、トイザらスで買ってもらった、黒か青か思い出せないけど、男の子用の自転車で、そんな子ども用の小さい自転車を、祖父が、膝を外に広げるように「こうやって乗るんだぞー」と実演しながら、教えてくれたりした。たまに転ばずに、それなりの距離を自分で漕げることはあったけれど、それでも完全には乗れなかった。

私は、小学校3年生が終わるまで、学童保育に預けられていた。だから放課後には、学童保育に通っている友達以外とは遊ぶことが出来なかった。
小4に上がり、学童保育を卒業した私は「鍵っ子」になった。放課後は友達と遊べるようになり(それでも6時前までとか)、進級した時には、自由になれることを喜んだ。
鍵っ子初日、友達と公園で遊ぶ約束を学校で決めて、家に帰った。出かけようと思って、乗れるかなと思いつつも、自転車に乗ってみると、すんなり乗れた。ハンドルが左右にブレてしまうことも無く、公園までずっと、転ぶことなく、ペダルを漕ぎ続けた。

それから中学に上がり、高校に上がり、と進学・進級をしていくと、行動範囲がぐんぐん広がっていることに気が付いた。高校に上がって定期券を手にした時には、「電車乗り放題だ!」とテンションがガンガンに上がっていた。
中学の最初の頃は、東京に行くのは大人と一緒だと思っていたけど、高校に上がってしばらくすると、千葉から、一人で東京に行ったりもした。それでも高校生の時に、友達と遊ぶ場所は定期券内がほとんどだった。
大学に上がると、キャンパスが埼玉と東京にあるから、遊ぶ場所は、ほとんど必ず千葉県ではない。千葉で遊ぶときはディズニーくらいだ。

もっと遠いところから、上京して一人暮らししているよーみたいな人とは私は少し違うかもしれないけれど、その人たちも私も、行動する生活範囲は、地元+東京みたいに、大きく広がっていった。こんな道あったんだとか、ちょっと足を伸ばした街にある、カフェとか飲み屋さんとかもドンドン見つけていく。

家からちょっと歩いたところにあるスーパーとかでさえ、小さい時は、お出かけだ!みたいな感じだったけど、今はそんなこと全然ない。
きっと自分の生活行動範囲は常に拡張し続けていて、もっと年をとった頃には、海外でさえ、今、東京とか埼玉とか神奈川とか行くくらいのテンションになっているのかもしれない。
死ぬあたりには科学は進歩していて、宇宙エレベーターとかあるかもしれないから、宇宙までもが生活行動範囲になっているかもしれない。ヨボヨボになった頃の自分は、東京と月を間違えるかもしれない。

なんかそんなことを、自転車に乗りながら考えた。

いいなと思ったら応援しよう!

三橋亮太|Mitsuhashi Ryota
お読みいただきありがとうございました。