2024/7/24の日記
web面接やった。背景としてちょうどいい白くて無機質な壁が部屋にあって良かった。ただそこを背景にするためには、椅子に座って太ももの上に置いたクッション(硬め)の上に更にパソコンを置く必要があり、それだけだとややパソコンが斜めになって画角が変になっちゃうので、踵をちょっと浮かせることで高度を保持するという行為を約1時間行わなければいけなかったのだけど、なんとか乗り切った。
自分の身体がもっと大きかったら、足がもっと長かったら、こんな苦労をする必要は無いのに。というかちゃんとZoom背景のために何かしらの準備をしてればいい話ではあるんだが、そういうことが出来ない人間なのでこうして生きながらくたばっている。
さて、面接と言えば見た目が大事らしい。らしいっていうかそうなんだけど。見た目の良さ悪さって自分にとって苦手ジャンルすぎるので、どうしたもんか未だに悩んでいる。悩んだ末に徒手空拳で挑み続けている。
自分は白い肌と大きい瞳と強調された唇が苦手だ。特に瞳は怖い。睫毛が多いとより怖い。不細工とかそういうことを言っているわけではなく、単に恐くてそっちの方を見られない。グロ画像みたいな感覚だ。しかし世間の中で結構な人数がこれを「良い」と感じて美人的な記号としいるっぽいので、困る。嫌とかじゃなくて、困る。嫌でもある。
それとは別軸の話として、自分は美醜に対しての関心が薄い。価値観が世間とズレてる自分でもズレてるなりに美醜を感じることがあるわけだが、感じたとして、だからなんなんだ、という話である。美人だから不細工だからといってそんなもん「ふーん」で済む話だと思っているんだが、済まない人もいて、そして済まない人が結構多いのでみんな苦労しているわけだ。
現実でもインターネットでも「不細工は馬鹿にしていい」みたいな価値観を結構な人数が共通さて持ってることが、初めて理解した時はショックだった。そんなナチュラルに人の悪口って言っていいものなんだ。いや言っちゃ駄目なんだけど。どちらかというと善人側にカウントされるであろう、日々を普通に暮らしているっぽい人達も雑談の一種としてそれを操っていることが衝撃的だった。悪口自体に対してのネガティブな衝撃だけでなく、「みんな顔に対してそんなに興味関心があるんだ」という驚き含め。
日々の暮らしで目撃してきたあれにもこれにも、実は顔への評価±が関わってきてたんじゃないかと思うと、世界を見る目がめちゃめちゃ変わってくる。そういうことを最近知った。
まだまだあるんだろうな、そういうこと。世間の人たちが当然のものとして抱えてきてるのに、自分ひとりだけ「どうでもいい」と見過ごしてきて、後から対応に苦慮しなきゃいけない物事が。嫌すぎ。