補稿:第二次世界大戦とレーダー
『ロケット・ササキ』(大西康之)を読んでいて、本編とは関係なく一つ良い知識を得たことがあったので、補っておく。
第二次世界大戦時、「ミッドウェー海戦で日本がアメリカに負けたのは、八木アンテナを作っておきながら、その技術の意味がわからず使わなかった日本の先見性がなかったからだ」という話がまことしやかに語られることが多く、私も信じてしまっていたが、事実は違いそうだ。
佐々木正さんはスーパーエンジニアで、戦中は、真空管のエンジニアとして働く。当然レーダーのことも知っている。この本からは、日本軍のエンジニアが、レーダーの存在を知っていたことも、研究していたこともわかる。また、シンガポールで押収した敵艦から真空管を奪い、研究して、日本ではガラスなのに、英国では水晶でできていたことに衝撃も受ける。つまりは、ものづくりの能力が違いすぎて、理論ができてから、実用化するまでの時間が米国や英国と日本では雲泥の差があったのである。
また、どうやら「日本軍にはレーダーがなかった」のではなく、「当然日本でもレーダーの研究をしていたが、鳥やチャフなどを取り除く技術がなく、レーダーを実用化まで持っていけなかった。その技術をドイツまで取りに行ったのが、佐々木正さんともう一人」ということのようである。
R&D部門と話をしたことがある人なら誰でも知っていることだが、R&D段階での「できた」と、実用化する製品の「できた」は全く違う。量産し実用化するためには、耐久時間を長くし、量産コストを抑える必要がある。素材・設計・製造と行った基礎技術が高ければすぐ実用化できるが、そうでなければ実用化は難しい。
当時の軍の開発の優先順位がどうなっていたのかはともかく、日本の工業力や科学力は、列強に対して競争力がなかった。日本が戦争で勝てなかったのは、ただそれだけであり、戦前に山本五十六のところの海軍で分析していた通りである。
どの時代もスーパーエンジニアはいて、似たような境地にいるものだなと思うのである。だから、共創なのであろう。