書評:『新しい現実』(PFドラッカー)

1989年に書かれた本で、ソ連の崩壊を予言して見事に当たっている。ドラッカーは、神がかり的な予言者ではない。現実を注視し、社会を分析する社会評論家であると私は思う。

この本は、未来予測ではなく、すでに起きた変化の解説本である。でも、ほとんどの人にとっては気づいていない変化である。もしくは、その変化のマグニチュードに気づいていない。そこを明言しているのが、ドラッカーである。

まず、主義主張としての共産主義・社会主義の終わりである。理由は、米国など資本主義各国による「年金基金社会主義」の本格導入である。大きな政府が、貧民を救済するという「社会による救済」というコンセプトが終わった。代わりに出てくるのが、NPOで、単一の目的を持った組織が企業だけでなく広がる。禁煙を目的にしたNPO、などが活動する社会。それに企業などの組織もある。昔の国家絶対主義とは異なる、多元的社会になっていると説く。

ソ連の崩壊も、人口問題から説いている。白人ロシア人の数が、アジア人の数より少なくなっている。指導者層が白人ロシア人しかいない社会システムだから回らない、というのがその理由だ。その通りになった。

国家の位置付けが変わった。今までは、唯一絶対的なものであるが、グローバル企業が出てきたことで、国を超えた組織が存在している。世界を分解するとMECEに国に別れた時代は終わり、その上のレイヤーとして、グローバル企業というものが例えばある。グローバル企業は、国を超えて移動するので、経済単位としての国に意味がないという。確かに、グローバル企業は、中国がダメになれば、ベトナムで生産するだけである。持って歩くのは知識である。生産の要素を資本というのであれば、資本は知識であり、お金ではないという。今までのマクロ経済論は、国の経済を語るものであるから、機能しないと言っている。マクロ経済学の終わりである。

そして、マネジメントである。軍隊的な命令システムの終わりを説いている。情報がコンピュータネットワークによって自分で広くとれる社会になると、部署にミッションがあれば、勝手に部署が判断して、行動していく社会になると説いている。情報を中間管理職経由で上げ下げする仕組みは、情報が劣化してダメになるし、遅いし、人数的に非効率的だから、機能しないと言っている。組織の階層も少なくなると言っている。

機械産業である場合、大きいことは良いことだった。人を交通機関によって工場に集め、大きな設備で集中して生産することに意味があった。しかし、今のIT産業などをみると、大きいことは意味をなさない。エレベーターの混雑だけを意味するものになってしまっている。人は電車で運ばれなくてもテレビ会議で仕事ができるし、ソフトウェアエンジニアなどは、離れていても仕事ができる。製造業型の組織の仕組みは、知識産業では機能しない。

知識産業では、専門家を集めて仕事をする。お互いの専門分野が違うので、そういう組織をまとめて、力を発揮させることが必要になる。これがマネジメントである。世の中でよくいうマネジメント=ボスではない。このマネジメントが一般教養になるとドラッカーは言っている。

さて、この本は、インターネットが普及する前の本である。いよいよ30年ほどだって、現実になってきたのが今であろう。この本も、1980年代ぐらいから進んでいるパラダイムシフトをよく示している。戦前戦後の組織構造を維持している企業がそろそろ死に出した。東芝が良い例である。重電の組織構造は昭和は機能したが、21世紀には機能しないことを確信した一冊であった。


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