書評:『文明崩壊 下巻』(ジャレド ダイアモンド, 楡井 浩一)
承前の下巻。
上巻は、地力に比べて人口が増えすぎると社会が崩壊して、人が全滅するという話が続いた。
下巻も色々な事例があって面白いので、章ごとに書いてみる。
ニューギニア高地のサステイナビリティ
環境破壊をせずに文明が継続できる例として、ニューギニア高地が出ている。ニューギニア高地は、地理的に外界と切り離されているムラ社会である。土地にあった農法を行い、のちに入った西洋人の農法が役に立たないほど、洗練された排水路などを作っている。輪作なども独自に開発。と、持続的な農業を発明してやっているのが、ニューギニア高地の村の人々である。燃料などでも使う木がなくなりそうなものだが、彼らは育林もしている。
人口のコントロールもされていて、残酷なようだが、戦争、嬰児殺し、避妊や堕胎のための植物の利用などもされる。このような習慣により、土や森を含む村の環境は保全され、持続可能な開発(SDG)は達成されている。
このようにムラ社会であるがゆえに、共有地の悲劇がない。共有地はみんなものもので、環境破壊は即座に生活に影響を与えるので、環境保護が行われる。ボトムアップの環境保護と著者は呼んでいる。
ティコピア島の例
絶海の孤島がティコピア島であり、人は生き続けてきた。食物やいかなるものの輸入も安定的にはなり得ない絶海の孤島である。そして、定期的にサイクロンに襲われる。
島の資源は大体は果樹園やタロイモ畑として使われる。植物を大量消費する家畜はいない。魚もいざという時に取って置くために食べるのは首長の許可がいる。
人口もコントロールされており、人口ゼロ成長を戦略としている。増えすぎないように、避妊もするし、堕胎もするし、嬰児殺しもするし、意図的に独身を貫くものもいる。極め付けは、自殺で、カヌーに乗って海に出る。絶海の孤島なので帰ってくるかもしれないが、カヌーで海に出て行く。ほぼ自殺である。みんなで意図的に人口を抑えている。
こういった、一見残酷な方法によって、ティコピア島の住民は絶滅をまのがれて、生き続けている。誰が、この習慣を否定できようか。
江戸時代の森林保護
日本人として恥ずかしながら、私はこの事実をアメリカ人によって書かれた本の中から知った。
江戸時代の初期に、日本は森林破壊がすごいことになって、森林危機を迎えている。
戦国時代の大名が、木を切りまくって、築城したせいで、森林がなくなっていったのだ(大坂城を作った豊臣秀吉とか、江戸城の徳川家康とか森林破壊者だよね)。あと、おそらく天下泰平の江戸時代になって、人口が倍増した。木炭とか、燃料などで、森林破壊が進んだ。緑肥と言われる肥料も使われて、森林破壊は進んだ。
1660年ぐらいに慌てた徳川幕府は、トップダウンの施策を進める。
まず、漁業を盛んにして農業への圧力を下げる。魚粉による肥料を使って、緑肥をやめて負担を小さくする。
次に人口ゼロ成長。米価と連動して、当時の人口が決まったらしい。
石炭の使用の開始。熱効率の良いカマドの採用。暖房をやめて、火鉢の部分暖房にして、暖かいお天道様を暖房に使う。
森林管理の開始も始める。幕府と大名が森林管理感を置いて森林を実質国有地などに指定して管理した。伐採は基本禁止。森林はムラのみで利用し、よそ者には使わせない。そのために、武装した監視役もおく。
次に、森林目録を作る。大きな木の1本1本が管理され、どこに何が何本あるというのが集計された。国家レベルで森林資源の管理をしている。
また、街道・河川で木材の輸送を取り締まる。
最後は、木材の利用までも管理し、偉い人はこれくらい家に木材使っていいけど、農民はこれまで、みたいな管理をする。木を切るには、この木は何に使うのかまで申告しなければならなかったそうだ。
江戸時代は、殿様が世襲するから、殿様は孫のことを考えて森林などの資源を管理する。権力あるから、施策は徹底できる。長期計画・長期ビジョンに基づいて、トップダウンの戦略と施策が打てるので、見事に日本の森林は管理され、復活しましたとさ、という話でございました。
いやあ、こんなことがありながら、どうして、日本の歴史の教科書はこういうことを書かないんですかね?なんとかの改革なんていうのより、よっぽど大事なことだと思うのだけれども。
ルワンダの大虐殺
フツ族とツチ族が対立して大量虐殺、と短絡的に捉える向きがあるが、間違っている。ここは、人口密度が高すぎて、農地の取り合いが進んだと見るべきだというのが、著者の意見。
化学肥料を用いた近代農業を使わない場合、坪あたりで養える人数というのは限られている。それとは別に、指数関数的に人口を増やしてしまうと、食糧不足が起きて、大虐殺が起きるという話。それも、一種の人口調整なのかもしれないが、恐ろしい話。
土地は無限にあるわけじゃないから、人口はコントロールしないとひどいことになってしまうという例であった。
ドミニカとハイチ
こちらの事例も面白い。私はどこにあるのかも定かでなかったのだが、中米の同じ島にこの二つの島はある。片方は森林に囲われていて、もう片方はハゲ山である。
どちらかに独裁者がいて、どちらかは民主主義っぽくて、そうではない。
となると、「民主主義が森林の方だ」と民主党員ならずも思いたくなるが、結果は逆。ハイチがハゲ山。独裁者がいたドミニカが森林を保持して豊かになったという話。
ハイチの方は、フランス人貴族がいて、農民がいる社会構造。「農民の燃料不足なんか知らねー」と貴族が呑気にやっていたら、森林が国からなくなって、自分たちも大変になっちゃった。現場感ない人たちの無責任な行動が、国を滅ぼしたというのがハイチ。まあ、政府も汚職だらけで、機能しない。
ドミニカの方は、パラゲール大統領という独裁政権になって、森を守るということで森林保護。森林を国立公園にしちゃって、燃料も天然ガスに転換して、と色々やっていって、森林を見事に残したという話。
どちらも裕福な国ではないが、もちろんより貧困なのはハイチ。
ドミニカも独裁政権がいたおかげで、森林が守られたという話。
中国はひどい
まあ、中国の酷さといったら、すごい。本が書かれたのが2010年までだから、今は少しましになっているかもしれないが、ひどい。
森林乱伐し、大躍進政策にて原始的な方法のボロい製鉄を推し進め、田舎の木を切って森林を破壊、戦争勃発を恐れ沿岸部の工場を内陸の土地に入れて内陸の空気を汚し、汚染物質をばらまく環境破壊を進める。
大気汚染は当然として、中国の水汚染・土壌汚染もひどい。
抜粋すると、「中国のほとんどの河川と地下水脈では、産業および地方自治体の排水垂れ流しと、農業および養殖業の肥料や農薬や堆肥の流出によって、水質と水量が低下し富栄養化が蔓延。(中略)中国の湖の75%とほぼ全ての沿岸地域は汚染されている」とある。
地下水脈は枯れて、河川はひからびて、帯水層がなくなった土地は地盤沈下する。
土の方は、国土の19%が影響を受けて土壌が流出。黄土高原という黄河中流は70%が土壌侵食している。農薬でミミズは全滅し、良質の農耕地が50%も減っている。土地の塩化も起きている。過放牧と土地の開墾による砂漠化は、全土の1/4に影響を与え、過去10年で中国北部の農業および牧畜地域の15%を失った。
湿地もなくし、生物多様性も失わせ、チベットの貴重な水源地も壊していく。侵略して、壊していくのだから、まさにロクでもない破壊者だ。
いや、地球のために、本当になくなった方が良いよ、中国共産党。
オーストラリアもひどい
オーストラリアというと、豊かな土地というイメージがあったが、全く逆。全く生産性のない土地である。
アイスランドやグリーンランドと同じく、欧州人が訪れた当時は森が広がっている大地も、森を取り払って放牧してみると、地力がないことがわかる。長い年月をかけて少しづつ積み上げて森林になっただけで、森林を切ってみると、土地の回復力は極めて弱い。
そこに、森林を伐採して、草地の牧場作ってしまい、過放牧までするものだから、森や草がなくなって、土壌が荒れて荒地になってしまう。
うさぎとキツネ問題。なんとなく可愛いからで連れてきてしまったうさぎが大繁殖して、家畜のための草を食べつくしてしまう。キツネも現地の生物を全部殺してしまう。草がなくなるもんだから、土壌が流されて、どんどん森が減るという。
地力がないところで牧場をやるから、森林は破壊される。過放牧で、草を食べつくして、土地の表皮が出るので、土壌が流れる。荒地になる。
水も少ない。
さらに悪いのが、土地の塩化の問題。
塩の層が土の中に埋まっている。ほおっておけば良いのに、上流の方で灌漑農業をやってしまい、水が地中に染み込む。この水が塩の層まで達すると、水を伝って塩が表面に出てきて、土地が塩化して使えなくなる。さらに、塩の地層を伝って塩水で流れて河川に流れ込み、真水だった河川も塩化する。
という環境破壊に気づかないオーストラリア人。補助金で、森林を破壊し、牧場や農地にすることに補助金をつけて、せっせせっせと森林を破壊してあ列を作って行く。結果として、真水がなくなっていく。
せっかくの農地に適した場所も、その上流を開拓して塩化させるもんだから、下流の良い農地も塩化しちゃって使えなくなる。
もう、何もやるな、オーストラリア人!!って感じだけど、流石に罪人の末裔だけあって、オーストラリア大陸の資源をひたすら盗むだけ。
さらに、人口増やせって、人口増やしちゃってる。そもそも、人が食っていくだけの土地がないんですけど。人口増やしちゃダメでしょ。土地は広くても、人が住むような土地じゃないのよ、オーストラリアは、ということが、よくわかる本でした。
オーストラリアのイメージが変わったなあという。
あんまり移住したくなくなった。
大企業と環境
石油会社は良いが、石炭と鉱業の会社はダメよという話。
石油の開発は、何年にも及ぶので、最近の大手の石油会社は環境破壊をしないことが大事であることをよくわかっている。ので、敷地の中を国立公園みたいに管理して、自然保護に余念がない。道路を引くのもやめて、ヘリコプターで移動する。ハンターなんかも取り締まり、生物の多様性も守る。石油会社が管理している敷地だけ、生態系が守られているというのが現状らしい。
石油会社とすると、初期投資がでかいので、あとで、世の中の風潮が変わって、環境保護仕様に設備を変えるという風にもいかないそうだ。だったら、最初っから30年ぐらい持つような設備でやっておこう、そのほうがリスクがない、ということで、開発をするそうで、結構自然に優しい。環境保護の人とも協力して仕事を進め、彼らの提言を受け入れ、積極的に自然を守っている。
一方、鉱業(マイニング)は地球を壊すだけという話。そもそも、鉱業は、あんまり儲からないし、掘るとどうやっても毒が出る。鉱山開発して儲けるだけ儲けて、あと、毒が出る鉱山を残して会社を倒産させて、後始末は地方自治体が、住民の税金でやるというのが鉱業の基本的な姿勢。アルコアとかまだちょっとましだけど、ロクでもない業界という。石炭も金がないから似たようなものなんだそうだ。
まあ、石油はちょっとした土地から斜めや下に掘れるし、価格転嫁もしやすいからそういったことができるんだそうだけれども、マイニングは露天掘りとかだから、基本的にはどうしようもないそうだ。
掘ったガラを入れたダムを作って、ダムが決壊というのも多いそうで、そこから毒性のある金属が水に溶けて漏れ出て公害になる。なんだか、私は金属のリサイクルがしたくなったよ、本当に。
日本企業はペーパーレスやった方が良いよ
我々日本人も森林の破壊者なんですよね。日本の森林は守っているけど、大量に紙の原料の木材とか輸入をしている。ちゃんとした林業(育林+自社所有地による林業)やっている事業者はいいんだけど、日本とかはマレーシアから木を輸入している。そこの伐採事業者は、すごい森林破壊していて、原生林を刈り取って、植えずに帰っていくという惨状。そういう木材を使っちゃいけないよね(国産材しか住宅に使わない住友林業えらい)。
と、名指しで日本を批判するジャレド・ダイアモンドさん。
日本企業が紙を1枚印刷するたびに、原生林を壊しているかと思うと、いかんよなと思うわけです。FSC認証通った木材・紙を買うか、ペーパーレスにして、原子力か、水力か風力発電で作った電気を使うべきだな。
おまけに最後にアンコールワットの話もついてます。
共有地の悲劇を避けるために
読んだ感想。
既成概念って怖いなと。オーストラリアがそんなひどいことしているなんて知らなかったし、中国の環境破壊の酷さもここまでだとは思わなかった。
現在の森林の広がる日本からは、まさか江戸時代の初期に日本から森林がなくなる危機があったなんと信じられない(でも、日本の木はほとんど、原生林じゃないからね)。そして、日本は森林だらけの国だが、日本人は、海外の森林を壊している破壊者でもある。
色々、自分の中で常識というものが変わった。
私の中で確信に変わったのは、「日本は人口を減らして良い」ということである。GDPなどという数値をおうのはやめて、経済的な数値を追うとしても「一人当たりのGDP」で良い。GDPや人口の絶対値の拡大はもういらない。
また、食料自給率なども含めて、環境破壊をするのを最低限にできる暮らしをしていく必要があるなと。米中戦争もきな臭いし、その辺の資源で暮らせるようにしておいたほうが安全。
狭い日本にあんまり人が多いと大変だから、人口減少結構。畑や田んぼにしたところも、いらないところは森に戻して、荒れ放題にして、明治神宮みたいな感じの森にしちゃいましょうよと。もう、棚田とかいらないでしょ。
共有地の悲劇。
イースター島がわかりやすいけど、木がなくなったら困るのをわかっていても木を切ってしまう。滅びる時ってそういうものよね。「俺がやらなくても、誰かが切るから、いいや、切っちゃえ」という共有地の悲劇こそが、集団的な自殺を引き起こす。
オーストラリアがそう。
中国共産党も共有地の悲劇。まあ、全部が建前共有地だと、誰も守らないよねぇ。習近平ごときの能力で、守れる規模じゃないのだよ。
私は、SDGとかああいうのは好きじゃないのだが、森林は守らなければいけないと思うし、水は汚染させてはいけないし、土壌が流出しないようにしなくてはいけない。変な外来種を流行らせるのもよくない。人口を増えすぎるのもよくない。
インバウンドとかはまだしも、まじ、日本への人の移住とか絶対にやっちゃダメだな。そんな小銭で美しい国ニッポンを売ってしまうような行為は絶対に避けなくちゃいけない。
こういうジャレド・ダイアモンドのような本を読んで、次の世代は経済だけとは違う価値観で生きていくんだろうなと思うのでした。
私も早く解脱せねば。