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書評:『ピクサー流 創造するちから』(Ed Catmull, Amy Wallace, 石原 薫)

年始から素晴らしい本を読みきれた。著者のEd Catmull(エド・キャットムル、以下エド)には、本当に感心するし、尊敬しまくりである。

まず、エドという人を振り返っておきたい。この人は、pixarの社長でありリーダーである。ピクサーという会社を作って、今の形にした人がエドである。それは、スティーブ・ジョブスでもないし、『PIXAR 〈ピクサー〉 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』を書いたCFOでもない。スティーブは確かに重要な役割を果たした投資家である。CFOは本当の一部分の仕事しかしていない。雇われCFOである。エドとは人生の深さというものは圧倒的に違うのである。

エドという人が凄すぎる

子供の頃に、ディズニーのアニメーションに憧れて、アニメーターになろうとするが絵があんまり上手くなくて挫折。ならばと、コンピューターを学ぶ。ユタ大学にコンピューターサイエンスの学科があり、そこに入る。同級生に、apple computerを作ったアランケイなどがいて、お友達。そこで、出来立てホヤホヤのコンピューターグラフィックスを専攻する。その時点で、CGでアニメーションを作りたかったのがこのエドである。

そして、CGの研究で、テクスチャを発明する。CGをかじったことがある人なら知っているが、テクスチャというポリゴンに映像を貼る技術は画期的であり、今のCGの基礎を作っている。アカデミックにもすごくて(頭が良くて)、CGそのものに大きな技術的な貢献をしている人である。

CG学会系のことをやっていたら、東海岸の投資家に呼ばれて、CGを事業にしようとする。有能な人を集めて会社をやっていたら、ジョージ・ルーカスに呼ばれて、スター・ウォーズのCGをやることになる。3DCGじゃないけど、二次元にやいたCGのすごい人でもあった。

さらに、CGへの貢献がある。昔のCGのもつ違和感というのに、ピントがあい過ぎるというのがあるのだが、そこの技術的解決もエドである。近くにもピントがあって、遠くにもピントが合っていると人は違和感を覚える。近くにピントが合えば、遠くはぼやけて見えるのが人の目であり、映画であり、写真である。それと同じことをCGでやる技術を作ったのが、エドなのである。

エドとそのCGチームはその後、放浪する。ルーカスフィルムは、映画を作る会社で、CGを作る会社じゃない。次第に、赤字部門と見なされ、スピンアウトすることになる。そこで、スティーブ・ジョブスに拾われる。

と、序盤はこんな感じなのだ。

私は、たまたまCGやComputer Scienceが専攻なのだが、そこで学んだあれこれや専門用語やツールに出てくる機能の多くをエドが作っている。そして、アランケイのお友達。

その辺の有名人を輩出したユタ大学は本当にすごい。

そして、スターウォーズのCGを作るとは。つまり、エドは何度も何度も成功している人なのである(非金銭的な意味での成功の回数がすごい)。


アニメーションを目指していなかったスティーブ・ジョブス

ジョブスは、アニメーションで映画を作りたかったわけじゃなかった。

CGを作るためには、レンダリングという作業が必要で、これには大きなコンピューターの負荷がかかった。三次元のモデルと言われる立体人形があるのだが、これに、背景をつけて、テクスチャを貼って、動きをつけてる。これを、1秒間に24枚なり、30枚なりの絵に焼いていく作画作業がレンダリングである。

当時は、レンダリング用のコンピューターがないから、ルーカスフィルムのCG部門で専用の高性能コンピューターを作った。今でいうと、グラフィックボードだから、NVIDIAのようなものだが、当時はコンピューターごと作るしかなかった。これを売って日銭を稼ごうと、お友達だった、サンマイクロシステムズやシリコングラフィックスの社長に話を聞いて、高値から始めたが、これが大失敗。高い機械という印象がついて、全く売れなくなった。

ジョブスといえば、NexT Computerを立ち上げていた頃で、Appleをクビになって、「ものすごい製品」を作るべく素材を探していた。そこで出てきたのが、このpixarのコンピューターだった。しかし、これが全く売れなかった。ジョブスは、対企業向け(BtoB)の世界の営業を全く知らず、わめき散らして、結構なディールを潰してしまったらしい。

といったところで、純粋な経営者ジョブスとエドの二人三脚は始まる。


ジョン・ラセターとの出会い

ジョン・ラセターは、初めから天才アニメーターであったらしい。エドには芸術の才能がない。あるのは、技術の才能とマネジメントの才能である。ジョン・ラセターにあるのは、芸術の才能とマネジメントの才能だろう。

エドは技術的にCGアニメーションを作れたが、実につまらなかった。ストーリーが描けなかったのである。ジョン・ラセターはそれができる。

ジョン・ラセターとエドは、志同じな子供だった。つまりは、ウォルト・ディズニーの作ったアニメーションに見せられて、自分たちもウォルト・ディズニーのようなアニメーションを作りたい人たちだったのである。

それは、ネズミの絵を上手に描くことでもなく、先人と同じように伝統的なアニメーションを描くことでもなく、何とか2、3といった続編を作ることでもなく、ディズニー作品のデジタルリマスターを作って、再度マーケティングして収益を得ることでもなく、キャラクターのIPを売って、物販収入から利益を得ることでもない。

新たなアニメーションの技術を切り開きながら、優秀なチームを作り、オリジナルの感動的なアニメーション作品を作り続けることであった。

ジョン・ラセターもまた、CGをみてすごいと思い、それで画期的なアニメーションを作りたかった。そして、それがなくても、ディズニー社の才能豊かなアニメーターだった(ちなみに、専門がアニメーションでこの人もその筋の大学を出ている!)

その当時、ディズニーは大企業になっていた。ウォルト以後にクリエイター型の経営者がおらず、過去の踏襲しかしていなかった。そんな中で、CGでアニメーションを作ろうという提案を出したら、ジョン・ラセターはクビになってしまった。

当時のディズニーは保守的で保身を計る上司しかおらず、ジョン・ラセターの才能に嫉妬して、活躍させなかったのである。それで、ジョン・ラセターはエドに才能を見出され、ピクサーに入る。

ジョン・ラセターは、ストーリーを作る天才である。

ピクサーの映画は、あらすじがしっかりしている。これに大衆性があるから、大ヒットできるのだと私は思う。

例えば、「ファインディング・ニモ」は、「過保護な親が危機を通じて子供を信じるようになる物語」である。子育てという普遍的なテーマを扱っている。これを、ハラハラドキドキのエピソードをCGで交えて語っているため、子供も飽きることなく見ることができる。親に感情移入ができるようになるために、最初に母親が大きな魚に襲われて、卵を奪われてしまう話が出てくる。そして、一つだけ残った遺児がニモであるため、父親マーリンは一人っ子ニモをとても過保護に育てる。そこにイライラした子供ニモと親マーリンの確執が生まれ、大きなトラブルに見舞われるが、それを親子共に頑張って、解決していく、勇気の物語である。そのテーマは、"take risk"である。

こういうストーリーを作っていけるのが、ピクサーであり、ジョン・ラセターなのである。


以後、ピクサーで大事にしていることが続く

面白いCG映画を作るのは本当に大変なことである。

ただCG映画を作るであれば、ディズニーなどの他のスタジオでもできるが、放っておくと、何とか2、何とか3といった続編ばかりになってしまう。そうではなくて、オリジナルのストーリーを作り続けるためには、勇気が必要だし、マネジメントも組織も個々人の才能も大切である。

エドは、CG技術の天才だっただけでなく、天才を大量に使ったチームのマネジメントの天才であり、多くの時間をそちらに割くようになった。クリエイティブ・マネジメントをどうしていけば良いのかを、エドは考え、延々と理論化して、ここに書いている。


最初はつまらなかった「アナと雪の女王」

こんな記事がある。アナ雪の当初のストーリがつまらなくて、誰も感情移入できなかった。エルサは邪悪で、ハンス王子という白馬に乗った王子様に頼って救ってもらうという話が全く、感情移入できない。試写会で誰もがつまらないと確信したとある。その後、ジョン・ラセターがすごくて、ストーリーが変わって生き返ったような記事になっている。実際のピクサーは違う、という旨がこの本には書かれている。

この記事にあるのは、「ブレイントラスト会議」である。ピクサーの手法なのだ。

優秀なレビューアーを集めて、会議をする。作っているみんなも参加して、フラットな雰囲気で、建設的な批評をする会が、この会議である。

ピクサーは、まず作る。CGでストーリーを作ってしまう。そして、それを有能なクリエイターの目に晒す。出来上がっていないプロトタイプなので、当然、アラが出てくるし、ダメ出しも出てくる。何が問題なのかを建設的に話し合って、解決策を考える。監督や現場のスタッフが、アイデアを持ち寄って、その課題を解決する。これが、ブレイントラスト会議である。

この定例会議を繰り返すことで、ピクサーの映画のストーリーは変わる。効果的なエピソードが追加され、CG的にできの悪いシーンがストーリごと削られて、作品に感情移入できる物語になっていく。

先ほどのアナ雪の一幕は、ピクサーでは普通のことであったのである。ストーリーが最初と全然違うものになったことも、会議で全く方向性が変わったことも、ピクサーとしては、普通のことだったのである。

一方、計画通り物を作ると、つまらないものが出来上がる。予算通りにやり直しを最小限にしようとプロジェクト管理が管理すると、最高につまらないCG映画が出来上がる。

面白い映画は、計画的にはできないのである。

これを理解できる人は、物を作ったことがある人でしかない。私もチームでCGを作っていたのでよくわかる。いくら技術的によくできたCGを作ったところで、つまらなければ何の価値もない。価値のないものを上手に作っても全くの徒労なのである。

創造性を尊ぶ人は多いが、創造的な仕事ができる人は日本にあまりいない。創造的な仕事をするようにマネジメントできる人など、ほぼ皆無である。第二次産業になれた経営者など最悪である。きっと、日本電産の永守さんをピクサーの社長にしたら、30日も経たないうちに会社を潰すだろう(ソニーの盛田さんにはできただろうが)。

このブレイントラスト会議にピクサーの全てが集約されている。すなわち、優秀な人を採用し、優秀な人が活躍できる場を作るためにはどうすれば良いのか、ぶつかり合う才能を浪費するのではなく発揮させるためには、どのような企業文化を作るべきか、どのような仕組みを作れば良いのか。クリエイティブマネジメントの多くがそこに描かれている。

管理したり、調達を管理することは、クリエイティブのマネジメントにはいらない。むしろ、無駄と思える挑戦を繰り返し、作品の質を上げきることが大事なのである。多くのアイデアを拾い、作品として統合するためには、そのための組織とルールがいる。そして、そのための財務戦略が重要になる。それは、第二次産業に必要なものとは全く違う。

小さな失敗の奨励が代表的なものだ。クリエイティブな作品を作るためには、失敗が必要である。でも、それは、駄作を販売に出すという失敗ではなく、作る上での回り道である。まさに、Fail Fastなのだが、失敗を恐れずに、挑戦していくためには、組織文化が必要だ。

心理的安全性をどう担保するのか、建設的な批判をする会議の雰囲気をどう作るのか、目の前の批判という困難を粘り強く解決していく現場をどう作っていくのか、細かい工夫がこの本には書いてあると私は思う。

クリエイティブな仕事とはどうやって作れるのか、天才を複数人マネジメントするにはどうすれば良いのか、などに興味がある人は、ぜひ、読んでみることをオススメしたい。




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