書評:『21 Lessons』 (ユヴァル・ノア・ハラリ, 柴田裕之)
「あまりまとまっていない本だな」と思って読んでいたのだが、最後のあとがきを見て、その理由がわかった。この本自体は、書き下ろしではなくて、小論文的に、個別に出していたものをホッチキスで閉じたものに過ぎない。なので、21章あるが、その主張に整合性があるかというとないと思うし、全体で何かメッセージを込めているのかといえば、そうでもなく、ただ、21つの主張が書いというてあるに過ぎない。
この本から何か1つの神大なるテーマを学ぼうとすると期待外れに終わる。しかし、ハラリさんは物知りだし、うまいこと言うので、ところどころを拾うと「へえ」という新知識や、「そうだよねー、うまいこというねー」といった言葉が拾えるというのが、私の感想である。
kindleで読んだのだが、メモをメールに吐き出すという便利な機能があったので、活用させてもらい、引用しながら、面白いと思ったところを抜粋し、感想を述べてみようと思う。
的外れな情報であふれ返る世界にあっては、明確さは力だ。
ですよねー。インターネットで情報の取得はほぼ無限になったこの時代、大事なのは情報の取得ではなく、取捨選択であり、判断が求められる。明確であれば、この取捨選択がいらないから楽であるので、明確さは力になりうる。考えなくて良いもん。
人間は、事実や数値や方程式ではなく物語の形で物事を考える。そして、その物語は単純であればあるほど良い。
過度の単純化というミスは、日本の大企業の中途半端な経営層によく見られる(社長じゃない全体を見ない重役)。よく言われることだけど、心してかからないと、意思決定を間違う。
アメリカ軍は、シリア上空を飛ぶプレデターやリーパーといったドローンを動かすには、一機当たり三〇人必要で、得られた情報を分析するのに、さらに少なくとも八〇人が従事している。二〇一五年、アメリカの空軍は、これらの職をすべて埋めるだけの、訓練を積んだ人材を確保できず、その結果、無人機のための人員の不足という皮肉な危機を迎える羽目になった( 13)。
へえ。
AIで雇用がなくなると騒いでいる人が多いけど、実際はこれだよなあ。飛行機は無人になったが、その飛行機の面倒を見る人は、逆に増えたという話。1つの飛行機を動かすのに、30人必要だと、人数は増えなきゃいけなくて、雇用は増えるという話。無人機で不要になるのは(飛行機になる)パイロットだけで、操縦する人はたくさんいるという話らしい。面白い。
国家という家族の中の何百万もの兄弟や、共産党の何百万もの同志が束になっても、たった一人の真の兄弟や友人が与えてくれる温かい親密さを提供できない。その結果、人々はますます接続が増える地球上で、ますます孤独な暮らしを送ることになる。私たちの時代の社会的混乱や政治的混乱の多くは、人間関係のこの低迷状態に元をたどれる(5)。
コミュニティの話。コミュニティとは地域社会。これが崩壊したのが、20世紀最大の特徴である。家族・地域社会が破壊され、その代わりが見つからない。これが、21世紀の混乱であると私も思う。
「私はホモ・サピエンスといいます。化石燃料依存症です。よろしくお願いします」
これぞハラリ節。
解説がいらないが、地球温暖化問題の本質をついていると思う。
ホモ・サピエンスの部分をあなたの名前に置き換えてみると面白い。
世俗主義的であるとはどういうことか? 世俗主義はときおり、宗教の否定と定義され、したがって、世俗主義的な人々は、何を信じておらず、何をしないかによって特徴づけられることがある。この定義によれば、世俗主義的な人々はどんな神も天使も信じておらず、教会や神殿の類には行かず、儀式を行なわないという。そのように特徴づければ、世俗主義的な世界は空疎で、虚無的で、道徳とは無関係で、何かで満たされるのを待っている空箱のように見える。
西洋人の日本人感をよく表している。
日本人に宗教はないようなものだろうと思う。うちは、檀家をやっているぐらいだから、世間的には仏教徒ということになるだろう(法事もやっているし、お経もたまに聞いているし、葬式には決まったお坊さんが来る)。しかし、親を含めて、本気で仏教の教えを信じている人はいない。お坊さんのありがたい説法を聞いても、
「へえ、お坊さんもたまにはいいこと言うねぇ。仏教的にはそうなるのね」
と言う感じの反応で「中学校の社会の先生がなんか言ってた」程度の影響力しかなく、参考程度にしか聞いていない。神も仏も、初詣とか七五三など、都合の良い時にだけ拝むだけの完全なる多神教と言うか、無神教である。
(まあ、うちの場合、儀式はやっているわけだから、ここで書かれている完全な世俗主義の定義は外れているのかもしれないけど)
こう言う人たちは、キリスト教的な西洋人からすると、世俗主義と言うことになるだろう。で、そう言う人たちは、「空疎で、虚無的で、道徳とは無関係で、何かで満たされるのを待っている空箱のよう」なんだそうだ。
世俗主義の日本人は道徳的であるし、金を追い続ける典型的なアメリカ人の人生こそ、空疎で、虚無的であり、道を極めようとする日本人の方が中身のある人生であると私は思うがなあ。
まあ、これは、ハラリの意見ではなく、こう見られていると言うこと。宗教を信じると信じないとで、こんなにも価値観が違うもんなんですね。もはや、違う生き物。もしくは、OSが違うから、macとwindowsぐらい違う。
何かしらの宗教への反対ではなく、首尾一貫した価値基準によって定義される。
と言うわけで、ハラリさんは冷静に話を続けて、宗教なんかなくても道徳的なんだよ、と言う解説を続ける。私のような日本人からすると、こんなことを長々と書かなければいけない理由がわからない。そして、記述がつまらない。キリスト教OSで毒された人たちを矯正するためには、こう言う解説をしなければならない状態であると他文化を理解する上で、ここの章は有用であると思いました。
その結果、気象学や生物学についてろくな知識も持たない人が、平気で気候変動や遺伝子組み換え作物についての政策を提案したり、イラクやウクライナを地図で見つけられない人が、そうした国で何をするべきかに関して、恐ろしく強硬な意見を唱えたりする。
ここもハラリ節。
この手のことは、本当に多い。
無知の知とは言うけれど、気候変動に強硬な主張をしている人が、元素が陽子中性子と電子でできていることを知らないで、二酸化炭素の分子式の意味も理解もせず、石炭と天然ガスの燃焼における化学変化の式も理解しないでグダグダ文句を言っているのをよく見かける。
遺伝子組換え作物に関しては、遺伝子が何かも理解していない人が、作物は怖いと言って騒いでいる。
イラクやウクライナの話は、トランプ大統領への批判だろう。
まあ、私も含めて、人間は無知であるということを、人間は本当に知らない。医学が、人間の身体や病気の全てを理解できていないことを知らない日本人は多い。だから、疫病が流行ると、医者を批判したりするわけだ。
どんなテーマであれ、深く掘り下げたければ、たっぷり時間が必要だし、とくに、時間を浪費する特権が必要だ。成果につながらない道も試し、行き止まりも探り、疑いや退屈が入り込む余地も作り、小さな見識の種がゆっくりと生長して花開くのを許す必要がある。もし時間を浪費する余裕がなければ、真実はけっして見つからないだろう。
イノベーションに言えることだと思う。
共産主義国・社会主義国の崩壊という意味で、全体主義や計画経済が破綻して機能しない事を感覚的に理解しているはずの20世紀に生まれた人たちが、時間の浪費を後から探して、ことさら文句を言ってくる系の無能な管理職が日本には多い。でも、実際に色々な真実を理解しようとすれば、時間も無駄も必要だ。冒頭の話ではないが、単純化しすぎては判断を間違うので、正しい意思決定には、深い知識も必要だ。そのためには、間違いや回り道も必要だし、時間の浪費も必要だ。
これも、20世紀の工場文化のせいで、わざわざ書かねばならないことになっている。工場みたいにルーチンワークじゃないから、やることが違うんだよねー。
したがってニュース市場のモデルとしては、「お金はかかるが、あなたの注意を濫用しない高品質のニュース」のほうが、はるかに優れている。
facebook, amazon, googleへの批判ですね。そして、日本で言ったら、Yahoo! newsあたりでしょう。有料版の日経新聞を電子版でとろうね、という、noteの持ち主へのリップサービスを加えておきましょう。
産業革命が私たちに残したのが、教育の生産ライン理論だ。町の真ん中に大きなコンクリートの建物があり、中にはまったく同じ造りの部屋が並び、それぞれ机と椅子が何列も置かれている。ベルが鳴ると、各部屋に三〇人かそこらの、同じ年に生まれた子供たちが入っていく。毎時間、誰かしら大人が入ってきて、話し始める。大人たちはみな、政府からお金をもらってそうしている。地球の形について語る人もいれば、人間の過去について語る人や、人体について語る人もいる。
クイズです。これはなんのことでしょう?
正解は、日本の小学校、中学校のことなんですね。
これからの時代に、工場型の教育は役に立たない、とハラリは言い切っている。私もそう思う。せいぜい、ひらがな、カタカナ、九九、常用漢字を覚えさせる小学校三年生ぐらいまでぐらいしか、このモデルは役に立っていないと思う。その小学生であっても算数など、特定の子供には簡単すぎて、退屈であり、拷問であると思う。そういう子には、よっぽど学習塾の方が役立っていると思う。
ま、この賞の中身を詳しく知りたければ、本を買って読んでくださいね。
ヴィパッサナーのテクニックは、心の流れは体の感覚と密接に結びついているという見識に基づいている。
瞑想について書かれた一節。禅の話だと思うが、なるほどなあと思う。
そして、なぜか21世紀の売れっ子作家や、すごいとされる人は、日本文化に傾向して、そして、瞑想や禅が好きであるように思える。それは、きっと、21世紀に注力すべき価値に、古くから日本やインドで培われてきた文化が役立つからかなあと思う。
私も、ボーとする時間は必要だと思っているのだが、瞑想という形でちゃんと時間をとってやってみようかなと思った。
メモを取ったのは、これくらいだった。
私の中では、ハラリの著作の順位は、
ホモ・サピエンス全史 >>> 21 lessons > ホモデウス
である。
ホモデウス的な未来予測に、ハラリは向いていない。情報技術に関する理解が浅すぎて、未来を正しく予測できていないと私は思う。この本でもそれ関連の章は「それは違うんでないの?」「それは間違っているよね」と思うところがチラホラあった。
一方、過去の歴史の分析や、現代社会の分析といった過去に関する分析については、その着眼点、表現力、本質を見る力は世界屈指であることは間違いないだろう(「化石燃料依存症」などと言う表現は、皮肉な表現であるが、これほど適切に地球温暖化問題を表現した言葉も見当たらない)。
それにしても、我ながら、とっちらかった書評になった。それくらいこの本はとっちらかった本である。「ハラリさんという、物知りで、口が悪くて、面白い人と、居酒屋で話したよ」ぐらいの本だと私は思っている。知的で勉強が大好きな人が聴く落語ぐらいの気持ちで読むと良いのかもしれない(くどくて、つまんない章も多いのだけど、色々書いてあるので、面白いと思うことには出くわすでしょう)。