書評:『樹木たちの知られざる生活』(ペーター ヴォールレーベン, 長谷川 圭)
今年一番感動した本
今年一番感動した本。今年は、本との出会いが素晴らしい。
確か、国立科学博物館友の会で紹介されていた本で、欧州ではベストセラーになったらしい本だとのこと。「樹木は生きていて、お話ができるんだよ」と語り出すので、「君の頭には妖精がいるのかい?」と言われてしまいそうなのだが、まあ、この本を読んでみたまえ。十分、科学的な根拠がある、論文を引用しながら話が進むような本なのである。
数百年前の切り株が生きていた話
まずは、古い切り株が生きている話から始まる。400年前の切り株が生きていたという話。ナイフで削ると生きているらしい。葉っぱがないと光合成できないので、自力では生きられないのだが、根っこのネットワークを通じて、他の木が養分を融通していたとのこと。こういうのが一つじゃなく、たくさんあるのが原生林であるらしい。御神木もあながち嘘じゃない。
森の樹木は会話をするし、助け合う
木は、キリンに葉っぱを食べられたりすると、不味くなるような成分をゆっくりと葉っぱに送り込む。葉っぱが不味くなるので、キリンは食べる木を変える。変えるのだが、隣の木ではなくて、100m先の木に変える。なぜかというと、木がエチレンというガスを出して、近くの仲間に危険を知らせてしまうから。風上の木でないと、葉っぱがまずい木になるので、キリンは風上の木を狙うんだそうだ。
木の寿命は本来すごく長いそうで、100年ぐらいは子供の木としてゆっくり育ち、隣の親の木が倒れて、樹冠という木の上の方が空いた時だけ素早く成長して、樹冠の穴を塞ぐ。子供の木はなかなか伸びないのだが、そのようは年輪が詰まって、間に空気が入らず、強い樹木に育つらしい。
というわけで、木には抵抗力があって、フェロモン物質を通じて会話をしているそうだ。さらに、根を通じて、栄養のやり取りをしていたり、菌類と同棲して、根っこのネットワークを作っている。原生林の樹木たちは、お互いに会話をしていることがわかっているのだそうだ。エネルギーのやり取りもするとのことで、まさに原生林の樹木は、お互い助け合って、競争しながら生きている。
最近、世田谷区の公園が整備されている。公園のブランコが安全に改装されていて助かっている。一方、治安上、見通しをよくするために、木を間引きして間伐して、見通しをよくしている。
ある、桜の綺麗な公園があった。老木がたくさんあって、枝がすぐ近くまで来ていて、花見の季節は大変綺麗だった。花をたくさん咲かせていて、元気な木であるように思えた。立派な木だった。
そこに公園の改装がかかって、数本の木を間引いてしまった。確かに公園の見通しはよくなったのだが、次々と桜の木は病気にかかり、1本、また1本と病気にかかって、枯れていってしまった。今では、花見をするような公園ではなくなってしまった。
「桜の木はソメイヨシノでクローンだから、単一の遺伝子で病気に弱かったのかな」「桜の寿命は短いので寿命だったのかな」と思っていたのだが、この本を読んで、そうではなかったと確信した。桜の木は、ネットワークを組んでいて、長らく、助け合って生きて来たのではないか。どこかの木が弱ると他の木が栄養を融通して助け合って生きて来たのに、公園課の人が木を間引いてしまったものだから、お互いが孤立して死んでしまったのだ。
確かに公園の人に与える治安の印象はよくなり、子供がブランコで怪我をするリスクは減ったのだが、あの公園の改装は、桜の樹木には残念な改装だった。以前は、夏には桜がおおい茂り、日陰も多い公園だったのだが、今では、ポツリポツリと木はあるが、基本的にお天道様がこうこうと照らしており、夏場には過ごしにくい公園になってしまった。花見のお客さんも少ない。人為的に手を入れて、植物の環境を壊したのだ。
ちなみに、ああいう孤立した木を著者はストリートチルドレンと言っている。保護者もおらず、教育も受けていない木たちなのである。
原生林では間伐の必要はない
著者は、原生林こそ一番良い状態だと言っている。本物の原生林には、枝打ちの必要もなく、樹冠は高いところに生えそろい、草薮もない。地面は歩きやすく、たまに大木が倒れている程度。日差しのエネルギーの97%は吸収されるので、森の中は夏でも涼しく、落ち葉により湿度も保たれる。森の真ん中では風もない。森は、快適な空間を作るのである(欧州前提なので、日本の森は少し違うのかもしれないが)。
「間伐をしなくてはいけない」というのは迷信で、原生林であれば、それは必要ないらしい。大木が光を独占するので、そもそも小さい木は急には育たない。たまたま大きな木が倒れると、光が出て来て、成長する。木漏れ日の3%で育つ木はゆっくり育つので、目がつまっていて強いんだそうだ。だから、風にも雨にも負けない。根もしっかり張るので、倒れることも少なく、栄養は木々で分け合う。虫や草食動物にも抵抗力をもち、お互いにエネルギーを融通しあって生きているので、健康な木は枯れない。
安倍政権の森林政策は修正が必要だ
日本は今、スギ花粉などに悩まされているが、これは、原生林ではないからである。林業と言って間伐が必要なのも、原生林ではないからである。木をるためだけに乱暴に人が植えた木が倒れるだけなのである。
森の木を倒すという政策が安倍政権で取られるらしいが、大いに間違いであろう。二酸化炭素の吸収が若い木の方が多いというのも嘘で、木の寿命が100年というのも嘘で実際はもっと長い。人工林の木が早死にするのは、若いうちに無防備に伸ばし放題にしているから根が弱いだけなのである。原生林であれば、間伐などの手をかける必要はない。木も安売りではなくて、もっと高く売れる。
政策で、不自然なスギやヒノキの森を倒して使ってしまうのは良いのだろうが、次にまた材木を目的とする森を再生するのは大いに違うのだ。日本古来の雑木林を作ればいいのだろう。それには、数千年かかるのであるが、今までの林業の再生など労働力不足でできないのであるから、計画的に原生林を再生して、観光などに生かした方が良かろう。ミネラルウォーター産業をやって世界に水を売りさばいた方が、儲かるんじゃないかとも思う。
森が内陸の雨を作る
他にも森というレベルでも凄い働きをする。まず、森は気候を変える。それから、雨への影響は甚大である。
そもそも、大陸の内陸部には雨が降らない。300kmも離れると降らない仕組みなんだそうだ。ただ、海から森が繋がっていると話が違う。森に水が保水され、蒸発が起きる。それが雲になるので、海沿いでなくても雨が降る。
森があると、保水がされ、光エネルギーの97%は樹冠が吸収するので、地表の温度も変わる。森自体が環境をかえ、過ごしやすい空間を作るとともに、雨を作り出す。保水と蒸発により、雲を内陸に連れて行くのである。
と思いを馳せるのが、ローマ時代の北アフリカである。あそこは広大なる農園であり、農業地であった。中東で石油が出るのも、かつては広大な森であった証拠である。しかし、今は砂漠である。
海の近くに森があったのだ。それが、内陸まで続いていたので、中東も北アフリカも雨が降ったのだ。今は、砂漠になってしまった。
現在は、ブラジルで同じことが起きているらしい。海沿いを開発して森を壊すので、雨が内陸まで届かず、間伐が起きているらしい。また、森を切り開いて農園にするので、雨が途切れてしまうのだそうだ。
中国の砂漠化もそうだろう。あれだけ、沿岸部を開発してしまっては、森がない。森がないから、内陸まで雨が行かない。
イオングループは木を植えている。木を植えて、砂漠化を防ぐのであれば、沿岸部から森を作るのが効果的なようだ。岡田卓也さんは勉強家だからきっと知っているとは思うのだけど、ぜひ、沿岸部から植えてほしい。
令和時代の樹木にまつわる新常識
(1)木は喋る(互いに意思疎通する)
(2)森は気温湿度を自らの良いように変える
(3)森は内陸に雨をもたらす
という基本的な科学的な事実は、世の中に知られていないし、最近わかったことのようだ。極めて重要な真実であるにも関わらず、未だ神話扱いである。
樹木も地球環境を能動的に書き換えている
地球環境を変えられるのは人間だけ、というのも大きな思い違いで、森は地球環境を変えられるし、樹木は意志を持って地球環境を書き換えてきた。ただ、その思考と展開のスピードが人間と比べると遅すぎて、人間には見えないだけである。
ということで、原生林というのに行ってみたくなった。今度調べて行ってみようと思う。
また、この森の分野の本は、掘ってみようと思う。