「洞窟」について 5:迷宮と洞窟
導入にもある通り、この一連のnote記事は、作品展「洞窟のなかの灯」のテーマとした「洞窟」についての覚書なのですが、
ところで実は、前回(前年)の同会場での作品展のテーマは「迷宮」でした。
「迷宮」。
原義的な「迷宮 Labyrinth」は、定義として「迷路 Maze」とは明確に異なっています。
複雑な分岐や行き止まり等によって人をその道筋において迷わせるのが「迷路」であるのに対し、分岐のない一本道から成る秩序だった図形、それが「迷宮」です。
この(狭義の)「迷宮」は「クレタ型迷宮」とも呼ばれます。
まさしく、ギリシア神話において牛頭人身の怪物ミノタウロスが住むとされたクレタ島のそれこそが、私達の知る最も有名な「迷宮」でしょう。
ただその起源そのものは、定かではありません。そもそもクレタ島が"ギリシャ化"される以前からおそらくこの神話的な建造物のイメージは存在し、またギリシア人達自身はもともとは古代エジプトに発するとも考えており、もっと古くからの図像の中にも描かれているとする説もあります。
のちにはキリスト教世界にも受け入れられ、おそらくはその起源や本来の意味との接続をほとんど失ったあとになっても描かれ続けました。
さてこの「迷宮」について、これはただの思索なのですが、人類が生む表象に古くから現れるこの図像の中には、 そのどこかにもっと古代からの「洞窟」の記憶もあるのでしょうか?
私は、あるような気がしています。
「迷宮」を子宮のなぞらえだと言う人もあり、それに絡めて"胎内巡り"の洞窟を持ち出すこともできそうではありますが、そうするまでもなくそもそもミノタウロスの住む迷宮の中は"この世"ではなく、だからこそ怪物を倒した後にもなお帰還の糸は必要とされたのでしょう。
ぐるぐると渦を巻く「迷宮」のつくりは、 その最奥を入り口="うつしよ"から最も遠くに置く構造でもあり、 だとするとそれは"かくりよ"と通ずるものがあって良さそうに思えてきます。光がない洞窟の世界は、 古より、むろんその"異なる世界"を実感させるものだったでしょう。
ところで洞窟絵画には、動物(やごくわずかな人間)以外にも、記号状のものもあります。文字の萌芽とでもいうか、「意味」があるのだとする説もあるのですが、あるいはある種の幻覚的ビジョンにかかわりがあるという話もあります。
人間の脳が、何も見えない暗闇の中でも何かを見ようとしたがる・見えると錯覚してしまうときに見えるビジョンは、生物としての人間の脳のかたちに沿って形成され、従って文化や時代とは関係なく現れる、
そのために、長い長い時代にまたがり描かれる洞窟壁画において、ある程度共通の傾向や、実際に同様の記号も表れるのだ……
という話なのですが、
つまり言ってみれば"暗闇トランス"ですね、
洞窟の中を進んで行くとき、その奥底の暗闇が人に幻覚を見せるとして、それが芸術の誕生に関りがあるのだとしたら、これはただの思索に過ぎないのですが、 それはやっぱり「迷宮」とも関係がありそうな気もします。
(あくまでものちの時代の事例であることは明記するとしても、)世界中に残された「迷宮図」のうち一部はその上を歩くために描かれ、それは明らかに宗教的トランスと関りがあるように思われるので(一定のかたちを歩くことによるトランス、というのはまま例があり、私達の身近な(?)ところでは「反閇」も似たものでしょう)。
キリスト教会の床に「迷宮図」が描かれる事例は、古くは紀元4世紀に見られるのですが、その当初の由来や目的は現在では失われ、分かっていないとされます。中世にはフランスのシャルトル大聖堂、ランスやアミアンの大聖堂といったゴシック期の聖堂の床に巨大なものが描かれ、そのうちのひとつは実際に見に行きました。
現在では通常は礼拝のための椅子が置かれ、その上を歩くことはできません。
そしてもちろん、(当時の建築技術が初めてそれを可能にした)高い天井とステンドグラスによって"光(≒神性)を取り入れること"を旨としたゴシック建築に描かれたものは、今回私達が追い求めたいところの"暗闇の中の迷宮"とはだいぶ離れた場所にあります。だから、仮にキリスト教の大聖堂の中の迷宮の、失われた象徴性がクレタ島の迷宮にあるのだとしても、この話は一旦ここでおしまいです。
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