【秋の歌】ただ傍にいたい 愛ではないけれど 逢いたい 胸の石榴が熟れる
ただ傍にいたい 愛ではないけれど 逢いたい胸の石榴が熟れる 〈未芙美〉
慌ただしく過ごしていたら、立秋の句を作ることもなく、いつのまにか、暦が秋に。
なのに暑さは増すばかりですね…(二重の意味で汗;)。
さて。
凪良ゆう氏の本を初めて読みました。『流浪の月』。
ネタバレなしで感想を書きたい、と思ったら、こんな風になりました。
本屋大賞受賞のニュースを耳にするようになってからなんとなく気にはなっていたものの、どんな内容かチェックすることはありませんでした。それが、現物を目にした途端、吸い寄せられるように手にとって。
装丁の美しさと、するするとした手触りで読みやすい文章、そして重い主題のどれもに惹きつけられ、一気に読み通してしまいました。
彼と彼女のような突き抜けた事情ではなくても、恋とか愛とか友情とかいう世間の定義にあてはまらない関係性や気持ちを大切にしている方は一定数いるはず…と私は思っていて。
コロナを機に、「世間の定義にはまらない関係性」、いわば世間的に不要不急? と分類されてしまう相手と会ったり連絡を取ったりする事のハードルが一気に上がってしまった気がするのです。
これって、じわじわと心を削られること。。。
逢いたい人に逢い時間を共にしたいのに…というやりきれない気持ち、大切なものを世間に不要不急と断じられるもやもやした気持ち。この夏は、そんなものが自分の胸に澱のように溜まって、発酵していきそうだな…と感じていました。
『流浪の月』読んで、胸に硝子の管をさして、その澱を少し抜いたような気分に。
澱が外に出たからと言って、切なさや辛さややりきれなさが無くなる訳ではないのでしょうが。世間の価値観にはまりきれない自分を、それでいい、と思いながら本を閉じたのでした。
説明も判断も必要なく、心のままに逢いたい人やものと時間を共にできる世界が、早くやって来ますように。。。