自己紹介1️⃣
さきほど初投稿を終えたのだが、noteはハッシュタグが設定できるのね。
自我が芽生えたハナシ書いたらハッシュタグの候補に #自我 が出てきて思わず、 #自我 設定しちゃったよね。初投稿の記事に。#自我。
そんでおすすめ記事が出てきたと思ったらみんな「自己紹介」とかやってるんですね。
何件かチラ見したけど、「大学が始まって〜」とか「社会人3年目で〜」とかほんとの自己紹介してて、オモローとなったよ。
だから、自己紹介をしてみようとおもう。
生い立ち
大都市と中都市の間、中途半端な地方都市の田舎と呼ぶには田舎すぎず、国道沿いにチェーン店が立ち並び、娯楽はパチンコ、夜な夜な暴走族が轟音を響かせる割には治安はそこまで悪くない奇妙でかわいい街で生まれました。
ほんとうに自我が芽生えるのが遅くて、16くらいまでの人生をよく覚えてない。
とにかくひたすら兄とゲームしてたし、勉強はしなくてもテストでは点が取れていた。
進学校に進み、「悪そうなやつ大体友達」が当たり前に通じない社会に飛び込み、カルチャーショックを受けた。短いスカートの丈を先生に怒られることに怯える生徒の存在に、怯えた。そこでなんやかんや自我が芽生えて、人間と初めて向き合った気がする。というか、他者の存在を初めて強く認識したのがこの時だったと思う。
無鉄砲に遊びまくったこの青年期?が今の自分の土台になっていると思う。ほんとに、10代でなにかに打ち込んでない人間はクズになるから子が生まれたらなにかしてもらおうと思うよ。言いすぎてたらごめん。
見出しの存在忘れてた、第二形態
進路選択を迫られた時、塾の先生に「将来何になりたいか?」と聞かれ、「お金持ちになりたい」と答えたら、「お金持ちになりたいなら、いい大学に行け。いい大学に行けばお金持ちになれる人が集まっているから、お前もお金持ちになれる。」と言われたことを覚えている。
わたしがビリギャルすぎて、馬鹿とブスは東大へ行け的なテンションで言ったのかもしれない。この塾の先生がどんな人間だったか覚えてないけど、この言葉は覚えている。
こんな金言を授かっておきながら、いい大学へは行けず、身の程に見合った大学へ通わせてもらうことになった。
身の程に見合った大学では、身の程に見合った人間に囲まれた、身の程に見合った生活をそれなりにウェイウェイ送っていたら、まーた進路選択を迫られる時期が来た。
また忘れてた、もう形態関係ないけどテンキ
わたしのウェイ大学生っぷりに呆れ返っていた両親から、就活どうするんだよオマエ課金した分はリターンしろよという念を感じとり、このまま就活しても身の程生活から抜け出せずウェイな男とウェイ婚してウェイベイビー産むだけ人生だなって恐怖に陥り、一念発起して海外へ行くことに。(謎に)
この時期ちょうどウェイ友とウェイな喧嘩をして、大学でアウェイになっており、卒業式もアウェイだなーと考えていたことも理由にあった。ウェイだけに。
そしてなんやかんやで、オーのストラリアへ行くことになっていた。親には、投資してるのに全然プラスになる気配のない株にさらに投資を持ちかけるという詐欺師っぷりを発揮しており、ここ(就活)で決めなきゃ人生オワル、、というプレッシャーを感じながらのブルブル留学が始まった。
海外行って価値観変わりましたっスわ
って言うひとを批判するひといるけど、
わたしは21年間ドメスティックに生きすぎて、井の中の蛙すぎて、大海を知った時はそりゃビックリしたよ。
たぶんカエルも大海を知ったら、価値観変わったっスわ〜って言うと思う。
空の青さも良いけど、井戸の中と大海、どっちで生きたいかな?って選択肢が生まれたという点で、日本を飛び出して良かったと思ってる。
わたしは海外生活よりも、海外生活をしてるひとに出会ったことでカルチャーショックが多かった。いかに狭いウェイの世界で、価値観で生きていたかを知り、新卒就職だけが人生じゃないんだな、、って思った。
余談だけど、ワーホリ界隈はほんとに色んな人がいて、出てこなかったら出会わなかった人種の人に出会ったことで自分の中の人類の幅が広まった。大学生disをしてる中卒の人とか、超大手企業の息子(ちゃらんぽらん)とか、怪しい草を吸いすぎてガンジャマンって呼ばれてる人とか。
そして日本帰国するころには英語レベルもミジンコからニンジンくらいにあがっており、TOEICでドヤ顔できるくらいにはなっていた。
投資の出資元にも収支報告書(ニンジンレベル)を報告すると、納得行ってもらい、その他諸々のボロボロの武器を磨き上げ就活戦争に挑むことになった。
ショートコント、就活
日本の新卒一括採用制度はおもしろいもので、え、あいつが?!みたいなやつが大手に受かったり、いっつも授業最前列で受けてテスト前にノートせびられるあいつが卒業まで内定0だったりする。
そもそも2.3回の面接ごときで人のこと見抜かれちゃ人間生活そんなに難しくない。一生を共にする家族のことだって、えそんなこと言う?みたいな時あるのに。
なんやかんやで、身の程大学のわたしはそもそもほとんどの大手にはエントリーしても足切り状態で相手にされないことはわかっていたのだが、一発逆転の道を見出し、なんやかんやで希望の仕事につけることになった。出資元も大喜びで、やっと家族の一員として認められたような安心感があった。(闇😂)
からの海外出戻り
就活終わりひまになって、日本でバイトしてもコスパ悪いのでワーホリで出戻りすることにした。ゼミの先生(恩師)に嫌われたけど、ほんとごめんだけど、やりたいこと優先した。
一年休学したから同級生が社会人一年目の中、ワーホリのバイト先でタピオカ飲みながら仕事して社会人一年目以上にお給料を貰うことに成功し、超困惑した。
そして、あれ日本で働いて生きていくの、ツラくね?!って気づく。
そこからなんやかんやあり、ワーホリ生活を平和に終えて、ドキドキ💓⁉️社会人生活が始まる。
長すぎるから一旦おゃり。