「損」のDJ
ツイッターでお役たち情報ばかり拡散されすぎている。
そんなに役に立たなくていいよ、と思うし、役に立つ情報っていうものはどちらかというと役に立つ情報を得るまでの過程で体得された経験値がものを言うのであって、結論だけ急に頭頂部から注ぎ込んだところでたいして役に立つようなことはないんじゃないか。
仮にお役立ちになって生産効率が上昇し可処分時間が増加したとしても増加した可処分時間はお役たち情報の検索に費やされ新たなお役たち情報が発見される頃には当初のお役たちの効果が終了しているので結果同じところを周回しているだけで効率が良くならなさそうな徒労感がある。
何事に関してもそうだけど、すぐ役に立つものはすぐに役に立たなくなるから長期的に考えるとあんまり効率が良くない。もちろんお得でも無い。「裏ワザ」という流行語を生み出したお役たち情報バラエティーの元祖のようなテレビ番組「伊藤家の食卓」を思い出して欲しい。裏ワザを執行した時間よりも番組を視聴している時間が長かった人が大半だと思う。本末転倒…でもなくて、この場合は役に立つ情報を手に入れた爽快感や嬉しさを娯楽として上手くまとめてあったし週に一回、1時間程度娯楽として消化するのは全く問題ないんだけども。
日頃からお役たちばかりにしか目がいかなくなる癖がついてしまうと結局何にもならないの総体に人生の時間が芋蔓式に絡め取られていって結構看過できない量の「損」が生じる。
ところで、私はここまでの文章で「得」とか「損」とか自由勝手に好き放題の文脈で使っているし、それで当たり前のような語り口ですけれども。これってわりかし卑怯な手口だ。なぜなら「損・得」の自分なりの意味内容を定義してないにも関わらず無責任な説得力や権力が発生してしまっているから。損をしてはいけないという資本主義刷り込みを勝手に利用して他人を洗脳している、とまでは言ったらかなりの過言ですけど。ややズルいことが平気でできてしまう言説ではある。
私は割と「損」とか「得」とかを文章の中で意味づけするのが好きなんだけど、逆説的なメッセージとしてしか使用しておりません。例えばこういった感じで
じゃんけんは負けは負けなのに勝っても実力ではないからやるだけ損
— 水野しず 『きんげんだもの』3月24日発売 (@320_42) February 17, 2021
テレビ版エヴァンゲリオン放送当時画期的だったアティチュード→巨大ロボットに乗るのは、損
— 水野しず 『きんげんだもの』3月24日発売 (@320_42) March 28, 2021
損得の意味内容はどうだってよくって「損」を逆説的に批評することで意図・立脚点としての志(のようなもの)を伝達しようと試みています。
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