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棒を見て「なんでだよ」と思っている間に大人になってしまった気の毒な人物


 中学生になった途端に、なぜ人々が「部活」に対して著しい熱意を向けるのか全く分からなくて苦悩した。小学生の時も一応部活というか、まあクラブ活動ごっこのような、定められた時間に定められた活動を行わなければならない時間帯は存在していたが、それはあくまで学内活動の時間の一端として設けられていたのでギリ我慢できた。(常に一刻も早く帰りたかったが)それが一転して、中学生になると、人々は途端に「部活」というものを前提に人生を構築しだすところがある。


なんでだよ


 私が通っていた中学(女子校)の花形部活は、「バトントワリング部」だった。なんでだよ。人々は放課後になると熱中して棒を回し、朝も7時くらいに登校しては熱心に棒を回した。挙げ句の果ては棒を回す大会に出場する。分からない。なぜ、棒を? それだったら普段は困りものだなと感じている球技の方が、まだ分かるように思えた。球を蹴ったり投げたり打ち返したりする行為には単純な爽快感やストレスの発散のような効果があるだろうし、勝ったら褒められる。それに比べてバトンはせいぜい70センチ程度の棒を回し続けているだけ。大会のレベルでは勝ち負けもあるのだろうが、普段はそれもなし。大げさなペン回しをやっているだけ。言ってしまえば場に存在しているのは「人体」「棒」「奇妙な熱意」「皮膚ガンのリスク」のみ。しかも


ガッツでーす


次ドンマーイ


ファイトでーす


などの抑揚のない掛け声が聞こえてくる。当時の私はあと一歩だな、と内心ほくそ笑んだ。掛け声は、棒を回し続けているだけでは飽きてしまうので、メリハリをつける目的で取り入れているのではないか。つまり、掛け声をやらないと気まずい、というところまで発想が至っているのであれば大チャンスというか。

「そもそも棒を回す必要はない」


と思い至る寸前まできている。あとは時間の問題。他人とはいえやはり同級生が無意味なことに時間を投じているのは心苦しく感じた。夏休みが明けて2学期になったら大半が無為な棒挙(ぼうきょ)をやめているだろう。だが、予想に反して人々は棒を回し続けた。しかも、以前にも増してより、熱心に。

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