コンビニテルマエロマエ


シティーガールのツイッターを見たら、成城石井のパンを


「ちょうどいい」


と評していて衝撃を受けた。

成城石井のパンがちょうどいいって、そんなことがあるのか。
驚いたけど「丁度いい」ではなく「ちょうどいい」なんだなと腑に落ちた。

丁度いい=合理的で都合が良い、ではなく
ちょうどいい=生活の中で生きている心地に確からさを与えてくれるもの

というニュアンスを察した。シティーガールだって、ありふれてうずたかく積まれあらゆる秩序が混沌に向かい続けやることが尽きない猛烈な日常という全貌が現れない巨大な怪物に対峙して、気絶しそうになることがあるのだろう。

いやむしろ、シティーガールこそ窒息しそうな日々を低酸素状態で何とかふらふら渡り歩いているのか。だからこそ、スマートで、さりげなくて、しつこさがない。


成城石井の近辺に住んだことがある。ひどく後悔をした。本当のところ、私は一生田舎者でありたいという気持ちが強いから日に日にありふれた日常として平坦になって行く石井にたえられなかった。憧れている方がよっぽどマシ。

都市という人間の生体を拡張した構造体は高度にフィルタリングされているから、成城石井が特別なセーブポイントではなくなった時にマップ上に表示されなくなる施設は多い。東京に生まれてしまったらどうしよう。何もかもこなれてしまったら、どこで呼吸をすればいいのか。ありふれすぎている均質で、安全で、安心かどうかは謎で、どこにでもいつでもすぐにあるものの強大な呪力が骨の髄まで染み込んでしまったら洒脱なゾンビになってしまうではないか。だからシティーの方々は銭湯とか、純喫茶とか、神社とか商店街とかそういうところに行くのだと思う。わたくしのようなのんきな田舎者からすれば、アーバンで余裕綽々に見えるそういうアーバンの実際のところは、切迫した必死の行軍が行われているのではないかと想像したりする。しつこさがないから実際のところはわからないんだけれども。

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