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「圧」かけて、いきまっしょい!

例えばセンター試験の得点をずっと覚えている人は、人生にそれよりマシなことが一つもないと宣言しているようなものですし、見た映画の本数を正確にカウントしてそればかりをPRしている人は、映画の内容は何も見ていないとPRしているようなものです。


人生は、得てしてこういったことばかり。


漫画「金田一少年の事件簿」の主人公、金田一が毎度「IQ180、金田一」で紹介される度に、これが作り話でよかったという想いが頭をよぎります。実在の人間が実績ではなく「IQ」で紹介されていたら、それは哀しすぎるからです。しかも「IQ」が高ければ高いほどより一層「IQ」の一発屋として扱われてしまっているその場の事実が、切ない。テレビ番組では分かりやすいから重宝するかもしれませんが、さすがにその場では、ちょっと。(私はこういった全般を「山田勝己現象」と呼んでいます)

つまり、何が言いたいのかというと人生において、一般的に「マウント」と言われる「何かしらの業績・功績・実力をPRすることで、目の前にいる人物よりもわたくしは上位に属しますと念押しし、「圧」を発表する行為」は残念ながら全般的に、現代社会においては失敗傾向にあるということです。

もっと単純化して考えてみれば一目瞭然だと思うのですが、例えばinstagramの投稿に

「♯おしゃれ」

というハッシュタグを用いている人物が、果たして実際におしゃれに見えるでしょうか。
すごく善良な方でしたら、書いてある文字を額面通り受け取る可能性もありますが、やはり印象としては「♯おしゃれ」というハッシュタグを用いるセンス自体があまりおしゃれではないと扱われることが大半だと思われます。

あるいは、

「#論破」

というハッシュタグを使用している人が論破できそうかどうか。

これ以上は何かとデンジャラスなので詳しい言及は避けますが、ツイッターの自己紹介欄に書いてある様々な自己PR文言についても、一考の余地があると言えるでしょう。


こういった残念な失敗、例えば人間の平均的な産道の幅が、平均的な胎児の頭部の大きさに適していないから出産時に毎回大変な目にあうだとか、ついつい飢餓状態に備えすぎて糖尿病になるだとかいった、進化の不均衡による失敗例の一つとして

「圧」をかける行為自体があまりよくは思われないのに、ついつい「圧」をかけてしまう。「圧」で群れ社会をやりくりしていた頃の名残で。

という事態があります。

これは、確かに「圧」をかけられた側からすると愉快ではないケースが多いかもしれませんが、そういう場面で咄嗟に

「来週健康診断なのに〜、ついつい食べすぎちゃったんだよね…節制しなきゃなあ」

ということを言ってる人のようだと思い込めば、

「人類って、実は犬くらいかわいいな…」

と、かなり広い心と視野を持つ隙が生じるのです。

この「進化不具合視点」を一歩発展させたところに、


「「圧」かけていきまっしょい!」


があります。


【「圧」かけていきまっしょい!とは】

モーニング娘。をご存知でしょうか?
(存知すぎている方もいらっしゃると思いますが)

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