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人類はだいたい炎上しそうなことしか考えていない
・「炎上するかどうか」という基準
最近頂いたメッセージで
自信のなさそうな男性がタイプだと気がついたのですが、男女逆で発言したら炎上するような発想だと気がついてショックを受けています
と心配している方がいて、これはなんだか変な悩みだなと感じました。
私としては、わざわざそんなことでショックを受ける必要はないので気にしなくて大丈夫なんじゃないかと思います。なぜならば、人類というのは炎上しそうなことを考えている方がフツーだからです。
というより、人類の多くが(それがいいかどうかは別にして)フツーに考えるようなことだからこそ炎上する可能性があると言った方が現状に即しているでしょうか。
冷静になって考えてみると当たり前の話ですが、炎上という現象は発言の内容に対して多くの人が「共感はできるけど許容できない」となる条件を満たしたときに発生するはずです。
それはつまり「多くの人が口には出さないけど頭の中では薄々考えていたり、少ない情報量からでも意図を想像しやすい内容」ということになります。
イメージしやすいように、共感できるかどうか、許容できるかどうかで分類した発言の例をそれぞれ上げます。
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①多くの人が共感不可能で、社会的に許容されない発言の例
「天才は全員死刑になるべき」
↑ヤバいことを言っているのは分かるが、発言の真意が掴めないのでどうコメントしたらいいのかわからない(=炎上の可能性が低い)
②多くの人が共感不可能で、社会的に許容される発言の例
「バカは全員尊敬している」
↑単に意味が分からない(=話題にならない)
③多くの人が共感可能で、社会的に許容される発言の例
「天才は全員尊敬している」
↑特に感想がない(=話題にならない)
④多くの人が共感可能で、社会的に許容されない発言の例(=炎上の可能性がある)
「バカは全員死刑になるべき」
↑多くの人にとって発言の意図を想像しやすいので炎上する可能性がある
事例を見れば分かるように、いくら内容がやばくても誰も考えていないようなことであればわざわざ炎上しません。炎上というのは大抵の場合、みんなが薄々頭の片隅では思ってはいるものの、口にしたらやばいな、と考えて言わないようにしていた不条理な発想をあけすけに公の場で口に出してしまったせいで起こるものです。
つまり、発言を非難している側も頭の中では発言してしまった人と大体同じような発想があるはずで、だからこそ敏感に反応をしているということです。これを言い換えると炎上しそうな発言というのは常にその時代の「差別あるある」を言っているだけ、ということになります。
もちろん、あるあるだから口に出していいかというと、そんなことは全くないどころかむしろ真逆で、差別あるあるだからこそ安易に口にしてしまわないようにより注意深く気をつける必要があります(なぜならば差別とはそういうものだから)。
しかし、だからと言って「そういう発想(偏見や根拠のない決めつけ、穿ったものの見方など)を常にもってしまう人間の不合理さ」と「人間の不合理な側面が憚らず表出されたときの社会的な迷惑」を同じカテゴリーの問題として捉えてしまうのは変な話です。原因と結果を取り違えているというか。
例えばの話ですが、ある人物が火災が起きているので消防車が出動している場面を目撃したとします。その人物は消防車が出動している場合は必ず火災が発生していることに気がついてこう考えました。
「消防車が出動すると、そのせいで火災が発生してしまうのだ」
実際には火災が発生しているから消防車が出動しているのですが、前後関係を取り違えて気にしなくてもいいことを気にしてしまう。こういった因果関係の誤認(経験則による確証のない推論)も人間あるあるです。
炎上するようなことというのは、そもそも水面下でみんなが考えている(つい考えてしまう)ようなことだから炎上するのです。
それに対してある部分共感できてしまう自分(そういう認識の偏りが生じやすい世相に生きている個人の精神性)を責めるのは「通報して消防車を出動させてしまった自分のせいで火災が発生してしまったのかもしれない」と悩むくらい意味がない行為だと私は思います。
【ここまでの要するに】
・人間は常にヤバい
・人間のヤバさは根本的には治らない(治してもまた別の方向にヤバくなってしまう)
・根本的にどうにもならない中、できるかぎりマシになっていく方法を常に模索し続ける他ない
・「ヤバいかどうか」と「ヤバさにあぐらをかいて人に迷惑をかけているかどうか」は全然別の話
・自分の考えを「ヤバいかどうか」の基準で成敗し始めるとむしろ認識の偏りに気が付かなくなるので無意味どころか逆効果
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