水野ダイアリー 4月1日〜30日
【水野ダイアリーとは】
水野がデイリーに書いた手記を1ヶ月分まとめて公開しているものです。
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4月1日 「ルノアールが純喫茶にならない理由」
最近どこの喫茶店も混んでいる。純喫茶もドトールもスタバもエクセルシオールも猿田彦珈琲もとにかく喫茶という喫茶が混んでいる。喫茶ブームが直撃していないのはルノアールくらいだ。ルノアールの側もメニューに「懐かしプリン」をラインナップするなどして喫茶ブームに参加しようと頑張ってはいるが、ルノアールの感はその程度の小手先で覆されはしない。ルノアールの感とは。銀座ルノアールの歴史は1957年、煎餅屋が開業した喫茶店に端を発するのだという。それ以来、日本経済の浮き沈みとともに数々のビジネスをビジネスの型に入れてビジネスの槌で叩き伸ばしたような打ち合わせがルノアール店内で繰り広げられ続けている。新聞で言えば日経、テレビ局で言えばテレ東、地震が起きても中継をせずビジネスニュースを放送し続けるエコノミックアニマルのライフライン。そういったジャパンマネーの立役者といった機敏が、ルノアール全体に叩き込まれている。これは一朝一夕に拭いされるものではないので、むしろルノアールの店内では絹ごしのとろけるプリンを出したほうが物珍しく重宝がられることだろう。
どうしてルノアールは純喫茶(広義)になれないのか。それは単純にルノアールの店員も客もマジだからである。純喫茶に必要な要素は、演劇性とハッタリだから、例えば上野の喫茶店「王城」の紙ナプキンには言い訳なしで「王城」とだけ書かれている。王の城ということで何卒、お願いします。このように、ハッタリを効かせる思い切りと心構えが大切なのだ。店の側が思い切ってハッタリを効かせているおかげて、客の側も安心して演劇的世界の一員として童話の奥底に埋まっているような後ろ暗く煌めく虚構に浸りきることができるのである。それに比べてルノアールは、「銀座」もマジ銀座、つまり日本経済の中枢としても銀座ですし、「ルノアール」の語源になっているルノワールの絵についてもジャパンマネーで落札してきそうな雰囲気がある。この際重要なのは実際に落札をするかどうかでなく落札できると考えているかどうかで、『トヨタは死なない』という感じのタイトルのビジネス書が最も誇らしく輝くのは間違い無くルノアール店内であろう。あと何年かすれば、ルノアールの感も現実的な有効性を失い、ハッタリと演劇性の純喫茶空間になりゆくことだと思う。その際は私も
「ジャパン・アズ・ナンバーワン!」
などの合いの手を張り切って入れていきたい。
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4月2日 「気まずでGO!」
なんの前触れもなしに、家にインターネットの回線を繋いでくれる人が来た。どうやら、今年初めに引っ越した今の賃貸物件は、インターネット関連のサービスが付帯している住居だったらしい。不動産屋の担当職員はマジで何も言っていなかったので全く知らなかった。担当職員は内見の時に道を迷っていたし、内見の帰りに電車に乗るときも改札口になんだか不安そうにSuicaをかざしていたくらいの人物なので仕方がない。契約ができただけでも御の字である。少なくともこちらに何か損がある訳ではないのでよかった。それはいいとして、回線工事の人物がかなり無口である。これも仕方がない。一人暮らしの女性の部屋でマンツーの状態になり作業をしなければならないのだから、向こうだって大変気まずいであろう。たまたま、日本の戦後思想に関する資料が部屋に沢山あったのも気まずさに拍車をかけている。壁には「オリジナルな何かを生み出せないと、サヴァイブなんてできないですよ」と書いたポスターが貼ってある。ここまで来たら「気まずでGO!」(『電車でGO!』ならぬ)だなと思い、フィリップ・グラス作曲『アクナーテン』サウンドトラックを流した。これは、メトロポリタン歌劇場で上演された古代エジプト王を主題にした歌劇『アクナーテン』のサウンドトラックである。多神教世界だった古代エジプトにおいて一神教の価値観を表明したアクナーテンの孤独と張り裂けそうな精神の失踪が現代音楽の構築的な技法でダイナミックに描かれている。かなりの名アルバムだ。場面はアクナーテンが即位し、太陽神アテンに礼拝を捧げるシーンに突入し、気まずが最高潮に達した。この部屋には、あまりにもマジしかなさすぎる。
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4月3日 「ソング」
24時間営業の西友のエスカレーターの速度はなんとも心地いい。深夜であればなおさら。西友のソングはソング好きの間では結構知られている。「ソング」とは。ソングとしか言いようがない曲のことを指して私独自にそう呼んでいる。例えば電気屋で流れているオリジナルソングなどは大概「ソング」である。私が好きなソングとしては、西日本を中心に展開する家電量販店、ジョーシン電機のオリジナルソング『情熱をなくさないで Joshin Ver.』がある。ジョーシン電機が東証一部上場した際に歌詞の
というくだりをアドリブで
に置き換えてきたのが大好きだった。こういう感じがソングだ。つまり、意外と嫌がっている人がいないムードいい社内のお花見(社長が有給で半休をくれる)みたいな空気感がうまく醸造できるとソングとしては大成功なのである。漫画『美味しんぼ』の社員全体で出張に行く時のような空気感と言えば伝わるだろうか。西友のオリジナルソング『See you SEIYU』にはかなりこのソング成分が濃厚に染み渡っているので、是非ネットで検索して一聴してほしい。
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4月4日 「クルー募集」
新しく始まったらしいアイドルグループメンバーの、一覧と言ったらもう人聞きが最悪だが一覧としか言いようがない画像を見かけた。印象が全員マクドナルドのクルー募集ポスターに出てくる人の感じだ。こんなに10人以上マクドナルドのクルー募集ポスターに出てきそうな感じなのはすごい。何がすごいのかというと、まず全員がアルバイト感覚でいなければならない。この中に一人でも真面目にプロとして高いクオリティーの表現をしたいと考えている人がいてはダメである。全員がクルー募集特有の笑みを浮かべているが、これについても「嫌になったらやめればいいや♪」という意識を全員が共通して持っていないとこうはならない。「休日は社内でBBQをやるアットホームな職場です」という広告の、湿度が高く腸内で悪玉菌が増殖していそうな笑み方とは一線を画する乾いたフラットな笑みである。数年したら大半が入れ替わっているけど、3人くらいは決してやめない(かと言って熱意がある訳でもない)人が常にいる感、部活と掛け持ちできるか親に一回相談しそう感、友達も誘ってみようかな感など、クルーに必要なあらゆる感を全て兼ね備えているという奇跡、でもないんだよなあ。やってる方もそのつもりなんだから。
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4月5日 「ゴルスタ」
この季節にふと思い出してしまうものといえば『ゴルスタ』である。ゴルスタとは。2016年頃に中高生限定アプリとして一部の中学生、高校生の間に熱狂的な信者を生み出すとともに、運営サイドの圧倒的な香ばしさにより炎上が過熱。運営の難癖によりアカBAN(アカウント停止)されたら反省文を提出するしかないなどの独自の運営センスが評価され、最終的には全国ネットのニュースや新聞で取り上げられながらサービスを終了という華々しい散り方をしたSNSサービスのことである。詳しく調べたのは今回初めてだが、ゴルスタには「ゴールスターズ」という男子中高生アイドリグループが存在していたそうだ。メンバーの一人は「ゴールスターズ」の活動に集中するために高校を中退したらしい。「ゴールスターズ」の為に高校は中退しないほうがいいだろうという理屈はこちらが大人だから言えてしまう話であって、自分が高校生だったらゴールスターズの活動を、いや優先はしないだろうさすがにゴールスターズの活動は。ゴールスターズは、ゴルスタサービス終了に伴い解散という憂き目にあった。短い活動実態の中で「glad a dream」というゴールスターズ唯一の曲が残されている。歌詞の一部を引用する。
誰とも違う夢を見よう 自分らしく進めばいいよ
未来を作るのは 今の僕しかいない
さらに高い山があるって知るよ
誰かに笑われたっていいさ 彼らは何も知らないんだ
これはこれで「マジ」なのがよく伝わってくる。少なくともマクドナルドのクルー募集みたいなアイドルよりは相当のマジさがある。マジだからって、それが必ずしもいいとは限らないということが分かる好例である。
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4月6日 「真剣インターネットやり場」
インターネットで、イラストレーターの人が商用イラストの無断トレース問題について解説をしている記事を読んだ。確かに気になる話題ではある。が、記事の内容自体よりも、イラストレーターの人が発言していた
「多くの人は僕らのように真剣にインターネットをやってない」
という言葉が強く心に残った。
真剣なインターネットとは。真剣ではないインターネットとは、例えばツイッターを懸賞が当たる広告をリツイートする為だけに利用している状態を指すらしい。まあ、確かに見ようによっては不埒ではある。いわゆる「真剣なインターネット」とは、営利を目的とせず、自分を大きく偽らずに発信できる空間の獲得を目指してひたむきに行われる接続を指すのだと思う。
同時に昔NHKで放送されていた『真剣10代しゃべり場』という番組を克明に思い出した。私はあの番組特有に出ている人が、全員自分としか思えなかった。真剣であればある程、社会性からはほど遠い居た堪れない空気、食べ終わらない給食のようなお気の毒ムードを漂わせてしまう。なぜなら社会は茶番だから。インターネットが過度に社会化された現代では真剣にインターネットをやってしまっている側がしゃべり場なのである。
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4月7日「DEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)」
私の体感ではDEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)ではパンを買ったことがある人よりも、トートバッグを買ったことがある人の方が多い。これは印象ではなく、私が実際にDEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)のトートバッグを所持している人と会話するたびにDEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)でパンを買ったことがあるか聞いているのである。DEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)はすごい。誰もDEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)を省略せずフルネームで呼び続けている。ドルッチェアンドガッバーナですら「ドルガバ」って呼ばれているのに。調べたところ、ディーンとデルーカは創業者の名前であるらしい。ジョンソンアンドジョンソンとやっていることは同じだ。にも関わらず、DEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)は誰も省略しないせいでにわかにはパン屋と信じられないほどのありがたみを放っている。DEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)の店内に入ると、実際にパンが売られているが、パン屋であることがバレたらまずいと考えているせいか、パンの展開は少ないし、何よりどのパンもパンとして可能な限界の硬さで販売されている。これは至極当然の考えで、なぜならパンは柔らかくてフワフワしていればしているほどパンであることが露骨になりバレるからだ。私は実際に新宿ルミネエスト1FのDEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)でパンを購入したことがあるが、パンを買ってしまうことにちょっとした後ろめたさを感じたので雑貨も一緒に買った。姪にあげるための瓶に入ったキャンディーである。こんなのDEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)で売っているのでなければ絶対に購入しなかったであろう。DEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)はいつも混んでいる。大人気である。DEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)のカフェで友達とお茶をしたらとても楽しいだろうけど、きっと席も空いていないだろう。こんなに大人気のDEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)のトートバッグが誰でも使えるなんてありがたい。バレンシアガのトートバッグもDEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)のトートバッグを真似しているんじゃないだろうか。地元にDEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)ができたら初日は2時間くらい行列するだろう。DEAN &DELUKA(ディーンアンドデルーカ)のある世界に生まれてきてよかった。
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