
お客様人間
【はじめに】
今回は初の試みとして、同じテーマの内容を抽象的な表現と具体的な表現の2パターンで書いてみました。どちらの方がより分かりやすいという訳でもなく、どちらも自分なりに分かりやすく書いてみたつもりです。両方読み合わせて頂くことで、伝わることがあるかもれないと思ってトライしてみました。
【前置きおわり】
お客様人間 〜抽象的バージョン〜
バブル期の日本では、「スマイル」がゼロ円で販売されていた。スマイルがゼロ円であるならば、当然「スルー」もゼロ円だろうと考える人はいる。
そんなわけがない
そんなものはビジネスライクな幻想だし、実際のところ、人は他人を無視する行為に結構なエネルギーを費やしている。無視せず適度に対応した方がよっぽど楽なケースも多いだろう。無視にかかる労力よりも、対応した際の実害で被る消耗が多いと目算した時だけ、人は他者から投げかけられた対話を無視する。無視をされた側は透明人間になったような感じなのかもしれない。他人に向かって自由に感情を投げて付けて反応が返ってこないのはさぞかし気持ちがいいだろうけど、本当には消えてないということを忘れている。どこにも店員なんていないし、どこにも客なんていない。人間と人間がいるだけ。
どの瞬間においても、人間に人間が対応しているだけなのにも関わらず、私たちはある側面において24時間常にお客様でもある。お客様は待っている。サービスが運ばれてくるのを待っている。興味深い話が目の前で繰り広げられるのを待っている。「ヘぇボタン」を押すタイミングを待っている。「深いい」レバーを倒すタイミングを待っている。「ガッテン」して頂かれるのを待っている。テトリスの長い棒が目の前に落ちてくるのを待っている。そうやって虚構の「無害さ」を引っさげて、なにもかもに値段がついた空間でゼロ円を支払い、無視をしてもらうというサービスを満喫している我々がいる。
私たちは、程度の差はあれ大体このような錯覚に陥っている。幻想を取り払ってみると、幻想の中の「ゼロ円」を成立させるために私たちは多くのエネルギーを支払い続けている。ばかばかしいほどに甚大なエネルギーを、常に耐えることなく、眠っている瞬間でさえ無意識のうちに。ナイアガラを自由落下する瀑布も言葉を失うほどに、あまりにも多くの精神力が、肥大しすぎたゼロ円の幻想に吸い取られ続けている。いま、この瞬間も、常に。
そうやって、気がつかないうちに収奪された甚大な、取り返しがつかないほどのエネルギーを搾り取られた我々は、常にクタクタで気絶しそうなくらいに朦朧として、なにがなんだかわからなくなっている。眠りに落ちたとしても、幻想の網の目を掻い潜ることは不可能であって、搾り取られた残りカスの思念をかき集めて、なんとか日々の選択をしている。追い討ちをかけるように、膨大な選択肢が問いかける。
何が欲しいですか? なんでもあります。あなたが望むのでさえあれば。
我々は疲れ切っている。磨耗した思考では、うまく選ぶことができないので、安らぎと単純な刺激を求める。それらは、コーラやラーメンや西海岸風の乳脂肪の塊や課金や大量の光の洪水や爆音と怒号や罵声や怒りや憎しみや叫びや攻撃や思い込みやあらゆる依存や血糖値の急激な乱高下によって満たされる。
そうして全ての思考を失ったら、やっと真っ白になった身体を抱えて気絶することができる。私は眠りから目覚めようとする混乱の束の間に、私が我に帰るのを知っている。手に入れた全てがとりこぼされていくような感覚と共に、かすかに脳裏を過る。世界が無料になる前の「つまらない」光景が。
お客様人間 〜具体的バージョン〜
SNSのダイレクトメール機能でメッセージを貰う事があります。それ自体は大変嬉しいのですが、時折り文末に
「申し訳ないので、返事は結構です。スルーしてください」
と、記載されていることがあります。これは、本当に意味が分かりません。情緒のコントロールの中で、目の前に存在している物質や現象を無かったという設定にして、無いような態度をとり、実際にないのだと自らの脳裏に思い込ませるほど多大な精神的労力を浪費する行為など、他にありはしないからです。
つまり「スルーしてください」と申し出る行為は極端に図々しいと言えます。普通に考えて、相手の反応を指定した上で要求するというのは傲慢ですし、例えば「怒っていただいて構いませんので…」と前置きをすればなにを言ってもいい訳ではありません。本当に申し訳ないと思っているのであれば、そもそも連絡をしないという手段を取る筈ですから、申し訳ないという姿勢も偽善的態度でしょう。自身は我慢せず感情や意見を吐露しておいて、相手にはスルーという感情労働を強いている。そのくせなにか謙虚なふりをして、善良な市民を気取っていたりもする。
恐らくこのような人々は、自らが透明人間であると思い込んでいるのでしょう。透明人間とは、言い換えると「お客様」のことです。お客様はお客様なので、ゼロ円でスマイルを購入することができますし、同時にゼロ円でスルーを購入することもできます。これが一種の万能感をもたらしている。そういった節がある。本来お客様は、店員に人間としての色々をスルーしてもらえているからお客様になることができているだけなのですが、本人の意識下では
ここから先は
¥ 500
よろこびます