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受け取り過ぎて疲れてしまう人のための、咀嚼力向上策 〜「繊細さん」から「挫折の業者」になるやりすぎ発想転換〜
・生きづらい人は「業者」になろう
最近「繊細さん」というワードをしばしば見かけることがあります。私も感覚過敏の傾向があるので家の中で使っている洗剤類は全て無香料で統一したり、外出時はヘッドフォンやサングラスをつけるようにしているのである意味で繊細さんのカテゴリーの範疇なのかもしれませんが、俗に「繊細さん」という語が扱われる場合には身体感覚ではなく情緒面のしんどさについてフォーカスして使わる場面が多いようです。
繊細というと、それ自体はあくまで特徴にすぎないので、そうである自分をどうやって操縦して生きていくのかが肝心な筈です。ここに焦点が当たるべきなのに、「繊細さん」という言葉の扱われ方にはそうであることで発生する苦しみを消極的に受け入れて厭世的な気持ちのまま折り合いを付けてやっていくしかない挫折感を感じるのです。ここに筆者は歯がゆさを感じてしまいます。
繊細さんというとイメージが難しいですが、これが
「溜め込みすぎて家がいつもゴミ屋敷になっている溜め込みさん」
だったらどうでしょうか。
いや、呑気に「溜め込みさん」とか言ってないで早く片付けた方がいいだろとなるのが尋常の発想と予想されます。「これからもどんどん不要物を溜め込んでいく。こんな自分だけどよろしくお願いします」をしている場合ではない。全てが当てはまる訳ではありませんが、「繊細さん」という呼称にもこれと部分には重なっている要素があるように思うのです。もちろん感受性が強くて様々な困難に直面している状況自体を否定するつもりは全くありませんし、そういう状況に説明が与えられてほんの少しでもマシな気持ちになれるとしたら、それは大いに素晴らしいことだとは思います。しかし、それはそれとして、現実的な対応策を示さずに一時的な言葉の安堵感、ラベルを貼って安心感を得るだけではなかなか実際の解決には向かっていきません。
それどころか「自分は繊細さんなのだから、繊細さんとして生きづらい人生をいきていくしかない」という自己暗示をかけ続けてしまい、更に自己否定感を強めていく懸念すらあり得ます。
・「死ぬ 方法」
今自分が挫折している事実と、挫折を生じさせている原因、これらは分けて考える必要があります。偉そうなことを言っている筆者も人生における挫折を上げるとすれば枚挙にいとまがありません。筆者が小学生の時は、学校で何かの問題が発生する度に大体原因は自分だったので常に苛まれ、インターネットが一般家庭に普及した途端に速攻「死ぬ 方法」で検索しました。中高生の時も真面目なのに問題児という実に悲しい人生、大学はやめていますし、その後一瞬やったオフィス勤務では全国の流通網を阿鼻叫喚の地獄絵図に巻き込むなど、全面的に文句のつけようがないほどの挫折に満ちております。挫折の業者と言っても過言ではないかもしれません。業者なので、業務対応で挫折を処理しております。自分のことを業者だと思っていると、挫折体験に遭遇したところで「私はいつもこうで……」と落ち込むことに精神力を消耗しすぎず「プロの術の見せ所だよ」とある意味前向きな捉え方が可能になります。発想として、こちらの方が建設的と思いますので、繊細さに悩まれている方も、是非挫折の業者に鞍替えしませんか? という発想でこの記事を書いている次第です。
https://note.com/320_42/n/n0a13f468a8d7
(OL時代の筆者の目も当てられない蛮行)
・挫折の業者とは
ゴミ屋敷を片付けるプロの業者のようなものだと考えてください。片付けコンサルタントのこんまりさんの本に「ひどい散らかりようの家を見ると嬉しくて上がる」というようなことが書いてあったのですが、挫折に対してそうなればしめたもの。そこまでいかなくても、目の前の凄惨な状況に対して、「やりますか」と腕まくりをするくらいの余裕は見せつけたいものです。
・受け取りすぎがなぜ困難に繋がるのか
人によって抱えている困難の性質は大きく異なるとは思うのですが、受け取り過ぎによる困難をものすごく単純化すると、下記の状況に集約されるのではないでしょうか。
脳が受け取る情報量 > 脳が処理できる情報量
これって、ゴミ屋敷が形成される仕組みと起きていることは同じですよね。単に入ってくる量よりも出ていく量が少ないからとっ散らかって手が付けられなくなってしまう。頭の中が散らかったままだから、感情もかき乱されやすくなってしまう。現代は一人の人間に対して入ってくる刺激や情報の量が圧倒的に多いので、少し受け流すのが苦手だったり雑に処理するのが苦手だったりするだけですぐに対応が追いつかなくなってパンクして心が疲弊してしまう。でも、それって何か本人に問題があるのかというと、そうでもないんじゃないかと思います。普通に置かれている環境がクレイジーである。だから、感傷的になって過度に自分を攻める必要もないような気がするんですよね。全ての家庭に毎日50冊の本が無料配布されているとしたら、よっぽど躊躇なく捨てられる人以外の家は大体ゴミ屋敷になってしまうと思います。そう言った類の問題なので、過度に性質の問題を過大評価しなくてもいいのです。もちろん性質も無関係ではありませんが、それ以外の原因(環境要因)の方が要素として大きいのではないでしょうか。こちとらは業者なので、冷静に原因を分析して業務対応をしていく必要があります。
・受け取る量が増えると同時に、咀嚼力も低下している
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