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外国の方
昔、夜中にテレビを見ていたら、森三中の黒沢さんが何か歌を披露していた。
黒沢さんは途中で歌詞を全部忘れた。そこから先はバックダンサーが外国の方っぽい感じだったので
Oh~ yeah~ 外国の方、外国の方、外国の方
とだけ歌っていた。
それがすごく良かったので今でもかなり頻繁に思い出している。
いいな、と思って聞いていた時はもっと何気ない些細な気持ちで、こんなに頻繁に思い出すとは夢にも思わなかった。
「外国の方」
その頃のテレビは今よりもっと野蛮な感じだったので「外国の方」という言葉がどこかに存在している余地はなかった、気がする。かといって「外人」という言い方も多分放送禁止だったので、じゃあ外国の方のことはなんと呼んでいたんだろうと「YOUは何しに日本へ」のwikipediaを見たら
番組内では性別・年齢問わず外国人は全て「YOU」と呼称する
とあった。「YOU」って。友達でもないのに、どうしてそんなに偉そうなのか。
私が「外国の方〜」という偶発的な替え歌を頻繁に思い出すのは、冷静な表現をしているだなのに、すでに何かに冷静ではなくなっている人々の常軌を逸した傲慢さが浮き彫りになってくるからだった。
こちらは冷静になっただけなのに。
平たく言えば、その場に漂っている根拠のない傲慢さに持って行かれない精神的態度を得た気がした。これを利用して、べらぼうに使い倒した異常性で「通常営業」という名の異常性を押し通している方々の出鼻をくじくことができる。
どういった出鼻をくじくのか。
例えばこちらが目的地に向かう道の知識がないというだけで深いため息をつくタクシー運転手に対して
Oh~ yeah~ 運転の方、運転の方、運転の方
こういったことを考える。
そうすると、なぜかタクシー運転手の方が「スン」となり、密室内でハンドルという命を左右する装置を握りしめているのをいい事に専門知識をひけらかす傲慢な勢いが削がれ、にわかに一般的なサービス業としての一面を見せてくる、ような気がする。この念は不思議と伝わるのである。運転の方も、常に閉鎖空間で集中力を使い続ける仕事をしているので客の側が意識しなければ「運転の方」であると忘れているのかもしれない。
あるいはカウンターの寿司屋で
Oh~ yeah~ 板前の方、板前の方、板前の方
と念じたこともある。不思議とこの念は通じる。
板前の方は、ある程度のパワハラ的な雰囲気をサービスでやってくれている節もある。その辺りの塩梅は本当に難しいと思う。
「寿司はやっぱりカウンターで」という感覚は、出されて即食べる醍醐味にも由来しているが、それに加えて多少のパワハラのような「圧」が寿司のスパイスとして機能している側面も否めない。殺伐とした緊張感が味覚の感受性を底上げしているというか。職業に対する性差をなくそうという動きがこれだけ活発になっている現代でも寿司職人はやはり男性というムードが蔓延しているのは、男性の方がリアルなパワハラの感が上手い人が圧倒的に多いからなんじゃないかと思っている。寿司職人は、フェアトレードのコーヒー豆を売るオシャレで都会的で親切そうな店員の丁度真逆のオーラを発している。穴子にガスバーナーの直火が当てられているのを見ながら、やっぱり殺されそうになりながらギリギリのところで食べる寿司が一番味しちゃうのだろうか、と思ったりする。
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