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習慣を取り入れる際は、ジョブズより断然☆セルフ独房システム☆<実践編>☆

人間の生活というのは恒常性の賜物であって、自分でそう選んでやると決めてリソースを注ぎ込んだ事だけが生活の中に現出し、日々の積み重ねの中で厚みや深みを増し、それらの総体が最終的に「人生」と言えるだけの一連のまとまりとして参照可能になるという、それだけの事だったのです。人生とは。

習慣を取り入れる際は、ジョブズより断然☆セルフ独房システム☆<理論編>☆


・自由になるのは不可能だが、入りたい独房を選ぶ自由はある

 前回、我々は普通に生きているとカスタマーさん(”責任を伴わない自由”への欲求を消費行動によって発散するお客様)になってしまうという話をしました。これを克服する手段として私が提案したいのが

“Stay cool, stay prison”

(ジョブズは“Stay hungry, stay foolish”と言ったそうですが)

という発想です。つまり「一回冷静になって、独房に入ろう」ということを申し上げています。

一体、なにを言っているのか。そもそもなんで独房なのか。

 私たちが気がつかないうちに「カスタマーさん」になってしまうのは、

①自由が無尽蔵に獲得可能な資源のような扱いをされている
②手に入るはずの「自由」と「自己実現」に対する漠然とした欲求不満を解消した方がいいのではないか という強迫観念に駆られる
③ほとんどの商品が「これを買うとこんなあなたになれます」というメッセージを伴って流通しているので買う
④強迫観念に駆られて 労働→消費 を繰り返すことが自己実現であるような錯覚に陥る
⑤がんばって毎日働いても人生が思っている方向に近づいていかない(そりゃあ、そう)

現代の普遍的な苦悩

という一連のプロセスを気がつかないうちに繰り返しているからです。

 これは生活のどこかにこういうシーンがあるといった話ではありません。
 そもそも世の中の仕組みが人間がこうなっていくことを前提に成立しているのです。だから根本から考え方を変えるのはかなり困難です。その瞬間は「たしかにそうか~」となっても、次の瞬間には目に入ってくる全ての営みが

・自己実現しなさいよ~
・消費しなさいよ~
・労働しなさいよ~
・自由ですね~ 労働と消費を繰り返しているあなた、今すごい自由ですね~

というメッセージを少しづつジワジワ放ってくるので「まぁそうか~、生きるって~なんだかそ~いうことなのか~現実見た方がいいのか~」と丸め込まれてしまうからです。別に、丸めこまれること自体が悪いってことは全くないのですが(社会ってそういうものだから)、丸め込まれているせいで心のどこかに存在しているはずの本当はやってみたかった人生と自分の生活が全然重なり合っていかないままエンディングを迎えるかもしれない懸念があるのは大問題です。

 こちらとしては、別に今入っているプリズンをブレイクする必要は特にない(というか、ブレイクした場合は生きていくのが困難になってしまう)ので、市場に流通している商品がおせっかいにもこちらの夢を勝手に予測して叶えて(叶ったような気持ちにさせて)こようとする①~③の現実部分

①自由が無尽蔵に獲得可能な(トレードオフする必要がない)資源のような扱いをされている
②手に入るはずの「自由」と「自己実現」に対する漠然とした形のない欲求不満を解消したくなる/した方がいいのではないか という強迫観念に駆られる
③ほとんどの商品が「これを買うとこんなあなたになれます」というメッセージを伴って流通しているので買う

(どうにもならん部分)

は一旦それはそれでOK!として、
⑤~④の部分

④強迫観念に駆られて 労働→消費 を繰り返すことが自己実現であるような錯覚に陥る
⑤がんばって毎日働いても人生が思っている方向に近づいていかない(そりゃあ、そう)

(やり用でどうとでもなる部分)

つまり、自分の生活の中にある選択や行動の規範を変えていきましょう。
 社会とは、そこから抜け出しては生きていけないというか人間の生き方を規定できなくなってしまうという意味で一つの監獄のようなものですが、監獄の中に「治外法権の独房」を建設し自発的に出入りをすることで「カスタマーさん」的な人生からは脱獄をしつつ、監獄の実にありがたい点は存分に頂くという最高にラッキーな人生をゲットしていこうぜ! というのが本記事の主旨です。

・今入っている監獄のルールはこう(読み飛ばし可)

 読んでも読まなくても結果やることは同じですから、気にならない方は読み飛ばしていただいても構わないのですが、脱獄ガチ勢の方のために現状のプリズン(社会の価値基準)を一度おさらいしておきます。

 私たちは基本的には近代自由主義における「自由(積極的自由)」を至上の価値とする教育を受けています。近代自由主義とは、

個人が自分自身の能力を発揮し、公平な社会(「立場入れ替え可能性」が担保された社会)の中で自己実現する

近代自由主義

ことを理想とする考え方ですから、生きている限りは常に以下の問いを投げかけられ続けることになります。

・何がしたいのか(意思)
・それをやる能力があるのか(能力)
・自己実現の為に社会から与えられた機会を最大限活用したのか(機会の活用)

【最近増えたやつ】その行為は正しいのか(社会の公平性確保に対する努力義務) ←NEW!

最後の一つは努力義務ですから、必ずしも満たしている必要はありませんが、少なくとも「そういう態度を社会に向けてPRしている」と理解される程度のがんばりは必要です。上の三つに関しては、これらを満たすために(少なくとも建前上は)自分に持てる限りのリソースを最大限効率的に注ぎ込む(注ぎ込んでいるっぽい雰囲気を醸し出す)必要があります。

何?????


どうですか。冷静に考えると、”これ”=「自由」ってことになっているのは、かなり変な感じがしませんでしょうか。むしろ全然自由ではない。「がんじがらめ」と言った方が近い。可能な限り最大速度で動くベルコトンベアーの上を絶えず走り続けながら、目の前のモニターに次々と報酬が映し出され、どんどん速度を早めていくことを至上の価値として達成する度に「やったぞー!!」と万歳三唱している(あとベルトコンベアーは自家発電装置も兼ねているのでクリーンエネルギーを生み出しエコですという表示もたまにされる)ような世界観。これをプリズンと言わずしてなんと言ったらいいのか。

しかし、このプリズンは今までの人類が作り上げてきた全てのプリズン(社会というのは常に個人を阻害するのでなんらかのプリズンです)の中で最もマシな人類の血と汗と英知の結晶で生まれた最高のプリズンなので、こんなにいいプリズンの渦中に生まれてきたプリズンガチャ「SSS」の結果に大喜びした方がいいのもまた事実ではあります。

いいプリズンだけど、プリズンだなあ~
(むしろ、いいプリズンだからこそプリズンであることを忘れてしまうんだなあ)

というところまで腑に落ちていただいたら

“Stay cool, stay prison”

「一回冷静になって、独房に入ろう」

の前半部分(一回冷静になって)の部分は達成です!

はり切って笑顔で次のステップ、「独房クリエイト」に向かってください。

・あなたは地上で最高の独房クリエイター

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