【朗報】性善説は合理的にラッキー
朗報です。今後性善説で生きている人はラッキー。
現在、世の中のあり方に対して有利さを発揮している特性は
いわゆる「サイコパス」的な性質というか、
これは定義が曖昧過ぎて好ましくない言葉だと思うのですが、この文脈においては
「特定の利益を目的として他人の心を動かす為に自身の感情エネルギーを随意に利用できる」
といった意味合いです。
会社経営者などに多く、最近ではバチェラー・ジャパン第1期のバチェラーの方がまさにこのタイプであり、出会った瞬間に自分のこだわりとか信念のようなものが全くないのをいいことに
「目の前にいる女性にとっての理想の存在の像を完全に投影した実体」のような感じになっていました。
それを見た女性が正気を失って自ら吸い寄せられるように洗脳されている様子はまさしく集団ヒステリーという印象。
勿論企画を盛り上げる為に自分から狂いにいってる部分はあると思うのですが、それにしてもバチェラーの方の使っている労力が少な過ぎるので効率がよすぎて著しく嫌になりました。
なぜ著しく嫌になったのかというと、
バチェラーの方は恐らく、信念とか目的とかこうなったらより人類は良くなるなどの思想が皆無でただただゲーム的に効率を最大限追求した上で最大限のマネーや評価、市場価値のあるものを追求しているにすぎない動きをしていたからです。
上記の動きによって発生し、我々が被ることが懸念される損害は以下の通りです。
⑴個人の内面からくる信念の追求への働きかけは合理性を伴わないのでエネルギーの流れが阻害される。(最悪消える)
妨害は極めて効率よく少ないエネルギー量で最大限の効果を発揮する形で行われる。
⑵経済的合理性を追求しているので予測不可能なゆらぎが発生し難く、偶然性や不確定な要素は排除される力場が発生する。また既に有利な条件を獲得しているものほど、より有利な条件を獲得しやすい為、変動が起きづらい。
要約すると
バランス調整が微妙なつまらないソシャゲガチ勢(世界ランカー)みたいなしょうもないことに生存している時間の大半をつぎ込んでいる連中が世のルール牛耳ってきたらダルいですよね。
どうでもいいし。
上記はしかしながらやや前時代的な感覚であり、今や状況は変化しつつあります。
私が思うに今後性善説を採用して行動する人間がラッキー
(環境メタ特性を獲得する)
ここで言う「性善説」とは
「人間は各々なんらかの信念があり、それに従ってエネルギーを発露させている」
と言う考え方を基本採用する行動様式のことです。
つまり、環境問題について弁論するグレタさんを見て
「バックに悪い大人がいるのでヘドが出る」
などとは言わずに
この人は実際のところ何がしたいのか、その為には何が必要かということろに目を向けてつまらない揚げ足取りをせずに目的に向かうエネルギーに対して働きかける精神性のことです。(←ただまともなだけ)
【なぜサイコパス的な行動様式は今後不利になるのか】
それは、上に定義づけたサイコパス的な行動様式は
「効率的妨害」
が基本戦略としてあるからです。
要するに、信念が特になく合理性の徹底を目的とする行動パターンを採用すれば常に
「信念があり、結果合理性に反目する」
精神性を発露する人間(割と多数派)に対して圧倒的に有利な動きができる
もっと言えば、より小さなエネルギーで、大きなコストを必要とするエネルギーを妨害できる。
その有利さに立脚した環境メタ特性であったのですが、
上記の「圧倒的妨害の有利さ」を担保する為には社会をコントロールするシステムが一元化されていなければなりません。
なんとなく、お分かりになりますでしょうか?
インターネットが普及して以降、明らかに我々が知っているだけでも経営者の特性って変化してきていますよね。
それはインターネットが空気のように普及した世界では「資本」というシステムが一元的なものではなく、多元的なエネルギーとして発露するようになったからです。
その為に現状では旧来的サイコパス行動様式と性善説採用型行動様式のハイブリット型とも言えるような人物が増えているような気がするのですが、
これは過渡期において一時的に有利性を獲得しているだけであって、システムの複雑化、エネルギー循環の多様化がより発達するにつれ性善説採用型行動方式の人物が有利性を獲得するのはもはや必然と考えます。
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