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全く勝つ必要がない無駄なバトル一覧
ゲーム『ポケットモンスター』のシリーズにおいて、ポケモントレーナーは互いの視線が交差したら戦闘が始まるということになっています(最新作『スカーレット・バイオレット』ではこのルールは採用されていない)が、これはあながち想像上の世界でのみ日夜繰り広げられている慣習というわけでもありません。なぜならば、我々の生活する2020年代の地球上でも「目があったらバトル」という状況は頻繁に起こり得るからです。突然人を殴る行為には傷害罪で逮捕されるリスクがありますし、我々は各自が腰にぶら下げたカプセル内部に収納した携帯獣に代理戦争を委託する習性も持ち合わせていません。だから、バトルはたいていの場合「ターン制の自慢」という形を取ることが多いのです。こういったバトルは、得てして参加をするだけ損です。なぜならば、人間同士のバトルというのは参加者はたいてい損をして、それを傍で見て利用できる人や組織が得をまとめて持っていく仕組みになっているからです。アメリカのゴールドラッシュで発掘競争を繰り広げる労働者を横目に最も稼いだ人物がリーバイス創業者であるように、女性の自己満足を遥かに越えて過酷かつ過剰な美人自慢大会で得をするのは全ての女性が他人のために果てなきサービスを提供する最高のオブジェでいてくれると大いに助かると思っている人物ですし、マンションのフロアーの高さを争う人々のおかげで本来不便で災害時に危険な高層階を高額販売できてマンションデベロッパーは大助かりのはずです。
ターン制の自慢も同様です。そもそも、自慢をするとかなり嫌われます。結果を出しているときや金回りがいい時であれば嫌われたところでそんなに差し支えはないと思うのですが、人生にはたいていの場合ままならない時期もあるものです。そのタイミングで周囲の人間が綺麗さっぱりいなくなります。自慢をすればするほどそうしている人の周りにいる人間はその人物のことを憎みながらもそれでも利用価値があるだろうと判断している悪人に厳選されていくからです。それくらい自慢の人に嫌わせるパワーというのは計り知れないものがあります。
しかし、なんで自慢をするとこうも人に嫌われるのでしょうか、簡単にまとめます。
・自慢が人に嫌われる理由
◎自慢をしている時点で実力が不足している◎
考えてみてください。レオナルド・ダ・ヴィンチが「俺って画力がすごいから作品全部バズってるんだよね」と言うでしょうか。また、レオナルド・ディカプリオが「俺は結構、同級生の女子とかに告られるタイプ」とか言うでしょうか。言うわけがありません。なぜならばそんなことは誰の目にも明らかであり言うまでもない事実だからです。わざわざ自慢によって他者に程度を誇示する行為というのは
「わざわざ誇示しないと注目されない程度に凡庸なんだなあ~」
という印象を(無意識に)与えるだけであんまり意味がありません。しかも、自慢をしなければ立ち行かない実力事情が表沙汰になった状態で等身大の自分よりワンランク上の自分像、つまり根拠もなしに偉そうな人物像を表現しなければならないのでその点も輪をかけて嫌われる要因となります。実力への評価はゴリ押しで獲得してもたいていの場合損しか生まないのです。また自慢という行為は本人のコンプレックスや精神的な弱点、不安などをネガポジ反転させて鮮やかに浮き彫りにしている部分があるので心の奥底に抱えている弱み、気にしている欠点などもバレます。バレた結果、小物(それが実際の実力の程度なんですが、大物に見せようとした努力との対比で必要以上に小さく見えてしまう)に見られてしまうというデメリットもあります。
これらのバレについて、はっきりと言葉にして説明するほど自覚的に対峙している人はそんなに多くはないと思いますが、薄々はこういったハリボテの空回り具合が伝わっていると思います。薄々バレるというのは、真正面から思い切り堂々とバレるよりもマシだと考える人が多いかもしれません。でも真相は真逆です。理由が誰の目にも明らかなほど克明に堂々とバレているのであれば、それは誰の目にもモロバレしているというだけのことなのでそこまで大きな負の感情が発生するということはそんなにありません。金正恩が正当な民主主義的手続きに基づた手段を取らずに世襲で現在の地位を獲得している事実に今更憤慨する人がいるとは思えないようなものです。
ところが、「なんだか理由がわからないんだけどなんとなく嫌だ」ということが心中に発生すると腑に落ちない分相手の感情を大きく揺さぶって害するというところがあるのです。みなさんもなんだか好きになれない二世タレントが嫌な理由が分からなくてモヤモヤしたといったような経験っておありではないでしょうか。これが自慢をすると嫌われる決定的な理由の一つです。特に「さあ自慢をしましょう! レッツ自慢!」とか考えている人物は、中途半端に
「自慢をすると嫌われるし心象が良くないから、できるだけバレないようにさりげなく自慢をしたい」
ということを考えてしまって絶対にしない方がいい余計なカムフラージュを自慢の周囲に念入りにばらまいたりします。このカムフラージュが最悪なのです。本人は手を替え品を替え頑張ってはいますが、はたから見たら全くのワンパターンですし、全然さりげなくもありません。やればやるほど相手は感情の落としどころが煙に巻かれて心情が悪化の一途をひた走る結果につながります。一方で、真正面から堂々とゴリゴリの自慢をされたところで、そこまで心情は悪化しません。良くなるということも別にないのですが、「フーン」くらいの比較的軽微な心象の低下で済むケースが多いのです。これらについて大規模な体重の減量というテーマで比較をします。
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【⑴堂々と自慢】
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