徒然 #07
わたしは、話すよりも書くことで感情の整理をする。
それには理由がある。
自分が話す時は頭の中がずっとうるさくて、次から次から言葉が出てきて考えるまもなく口から出ていく。思考が勝手にあちらこちらで幅跳びと高跳びを繰り返す。
次第に自分が何を話しているのかわからなくなって、何を言いたかったのかを完全に見失う。
厄介なのは、それを全てわかっていること。
口では思いつきをツラツラと垂れ流しながら頭の中で“今一体何を話してるんだろう”と思っていることがほとんどだから。
わかっているのにやめられない止まらない。
あー、ぜーーーんぶ、かっぱえびせんならよかったのになぁ。
(?)
あともう一つ、相手の顔色が気になってしまうことも話すのが苦手な理由かもしれない。
この話は興味がないだろうな、空返事だな、こちらを見ていないな、などなど、実際そうなのかはわからないにせよ、それが気になって余計なことをまた吐き出す。
これが
=わたしの話は面白くないよな、別段話すことでもないよな、帰ってノートに書いておこう…
となって、今に至るわけなんだな。
わたしにとって、他愛もない話をすることっていうのは、ウルトラE級、難易度⭐︎5。
エクストラステージ、ヘル・モード。
(そんな装備で大丈夫か?)
そちらこちらで跳ね回る話題をとっ捕まえては脳みそに届ける前に口から吐き出しながらも、
“わたしは今一体何を話しているんだろう”と冷静に状況を把握し、
“あぁこの話は興味なかったよね、そうだよね”と相手の顔色をうかがう
こういうことなのだな。
これはほんとうに、すごく、すごく
すごく疲れる。
ただただ、疲れる。
だから、相手との関係性にラベルが欲しい。
仕事の人、趣味の人、喫煙所にいる人、近所の人…
仕事の人とは仕事の話をすればいいし、趣味の知り合いとは趣味の話だけをする。
喫煙所にいる人はきっとこの場限りの付き合いだからこの不景気は国が悪いとか言ってりゃいい。近所の人とは今日が暑いか寒いか、晴れか雨かをお互いに確認すれば、
はい、すべて世はこともなし。。。
話を聞くのがうまいと言われることがあるけれども、それは話すことがあまりに下手すぎるから聞く方がよっぽど楽だと思ってしまったわたしの怠惰の成れの果てなのだ。
事実、話を聞くことが苦ではないのは確かだし、知らないことを話してもらえるのは嬉しいし、知識が増えるのは楽しい。
話したい人が話して、聞きたい人が聞く、それでWin-Win、大勝利金メダル!さぁ国歌斉唱だ〜!
(あ、さざれ石が大きな岩になるのは悠久の時を経ないと無理ぽいけど、岩に苔がむすのは、最短120日くらいらしい)
てなもんだと思う。
でも、
こんなことをいいながらも
わたしにはラベルのない人も少なからず存在して(ほんとうにいてくれてありがとうなわけで)、
この、ラベルのないお付き合いができるかどうかが、わたしの中で友達以上(友達も含みます)の関係性を築けるかの決め手となっているような気がする。
ここからは、とある日の、職場にいるミレニアム生まれヤングとのやりとり
『今日、遠方から友達が店にくるんです!ドリンクをサービスしてもいいですか?』
「それはよかったね、もちろんいいよ!」
『わーよかった!ありがとうございます!
その人と会うの初めてなんですけど』
?????
「友達って…?」
『あ、はい!ネット上では、いつも一緒に狩りをしています!』
??????
「ふ、ふーーーん、、ネットで…狩りを……友達………へぇ…トモダチって………へぇ…」
『まぁ1回話したら友達なんで!ボイチャができるんです!』
「ぼ…………ぼぃ…(吐血)」
(完)
ともだち
【友達】
インターネット上で声のみのやり取りをし、一緒に狩りに行った相手。友人。姿形はわからずとも。
いやもういいんだよ、いいんだ。
だってもう比べたって仕方がないくらいギャップがあるもの。
生まれた時代も、育ってきた環境も。
好き嫌いはイナメナイって。
夏が好きだったり、セロリがダメだったりするのねって。
山崎まさよし氏も言ってたし。
でもわたしはそれを友達というにはあまりに危ういと思った。確かに気軽に人と繋がることができるのは良い部分だけれど、軽薄過ぎやしないかと思ってしまった。
思ってしまったことがまた、ギャップなんだろうな。一度直接会った人ですら、友達と呼ぶにはおこがましいと感じるのに、会ってもないうちから友達なんですと言えるその心持ち、
もはや羨ましくもある。
わたしは人と話すことですら、ガンッガンに石橋を叩いて叩いて、もはや叩き割って途方に暮れている。なのに、ヤングときたら遥か頭上高く飛び上がって、石橋を悠々と飛び越える。
なんか、いいよなぁ。
憧れに近い感情もあるには、あるなぁ。
もう少しだけ、軽やかに人と話してみるのも、良いものなのかもしれないな。
とはいえいままでのこれは、やめようと思ってやめられない。
これからもチマチマと、初めて会う人にラベルを貼り、ある程度話しが上手にできるように、しんどくなさそうに聴いてもらえるようになったら、ペリペリと剥がして少しだけ近くに行ってみる、それを繰り返すんだろうなって思う。
相手をわかりたい、わかって欲しい、そういう気持ちって、いつだってそこにあっていいものだと思うから。お互いがその気持ちを持ち合わせて初めて、少し近くに行けるのではないかなぁ。
そしてそうやって少しずつ近くに行くことができた人を、こころをこめて友達と呼ぶし、こうやって頭の中をぐるぐる回っている事柄は、書きながら整理していく。
大丈夫だ。問題ない。
(((((よね)))))