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「限界点」からのターン。

人間生きていれば、

「もうお終いだ」
「自分には才能がない」
「みんなよりも自分は劣っているんだ」
「また失敗した」
「もう遅い」

というような、特定の状況や自分の限界点にひざを折る事が何度もある。

多分。
よっぽど上手くいっている(ように見える)人か、
もしくは誇るべき鈍感さを持っている人間でない限りは。

そんな風に心が縮こまってしまった時は、一瞬立ち止まって、それは一体どこの誰が決めたことなのか、それは本当に問題なのかを問い直してみることだ。

「自分はダメだ」

と思っているのは、「今の自分」だけだ。
仮に「みんなそう思うに違いない」と思い込んでいるのも「今の自分」だ。
そう思う一瞬前の「自分」にその思考は存在しないし、そんな現実も存在していない。

そして、そんな思考すら
「あってはいけない問題」
というわけではない。
万が一にも「自分はダメだ」という事実が今あったとして、それの一体なにが問題なのだ?

立ち止まることが出来るのは、それまで動いてきたからだ。
歩いたり、走ったりしてここまで来たから、立ち止まることが出来る。
自分が「限界点」だと思うその場所は、本当は「道の途中」なのだ。

いま「限界点」だと思っているところは
上り坂の途中かもしれないし、
分岐点かもしれないし、
折り返し地点かもしれないし、
あるいは乗換駅かもしれない。

けれど、生きている限りそこは「終わり」ではないということだ。
困難だと思う状況も、行き先へたどり着くまでに「必要な出来事」の一つでしかない。
「必要」なのだ。
そこを回避してはたどり着けない道のりなのだ。
だが、その先に自分の望むものが確かに存在している。

もちろん、自分の感情をコントロールすることはなかなか難しいし、何度も同じように落ち込んでしまうこともある。
それでも、何度だって「道の途中」なのだと思い出せばいいし、そんな自分が悪いわけでもないし、ちょっと立ち止まったら、また歩き出せばいい。

立ち止まる期限は、決めておく。
一日だけ。
三日だけ。
一週間だけ。

自分で決めた期限がきたら、顔を上げて一歩を踏み出す。
最初はおぼつかなくても、すぐに歩き方を思い出すから。

大丈夫。
その「限界点」は幻でしかない。
さあ、ターンしよう。




まあね。
何十年生きていても、自分を卑下したり状況を悲観したりすることはあるわけで。
それでも、まだ生きてるんですよ。
死ぬまでは(笑)
で、結構何度だって前は向けるんです。

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