読まなくてもいい。まったくもって不親切な、カタカムナの「思念」の話。
こんばんは、ゆきえです。
昨日今日、がんばって生きてきたので、noteするエネルギーがハンプティ・ダンプティ・・・じゃなく、エンプティでございます(;^_^A
なので、今日は読まなくてもいい話を置いておきます。
ハッキリ言って、noteじゃなくてmemoレベルです。
数あるカタカムナ研究の中で、比較的新しい研究者である吉野信子氏が発見し、公開されている「思念表」があります。
日本語48音の一音一音に、その音が持つ「思念」と呼ぶ「音が持っているチカラ」あるいは「音が持つ物理的エネルギー」があり、48音で表記できるあらゆる言葉の本質(本来の意味・物理的な動き)を、その「思念」を繋げることによって読み解くことが出来る、というものです。
「あ」とか「い」とかという音そのものが、それぞれに持つ「思念」という意味があって、例えば、「アイ:相・逢い・合い・愛・eye」という、同じ発音だけど意味の異なる言葉に「共通する動き・働き」を見出すことが出来るというわけ。
上記だと、「なにか二つの間に発生するもの、行きかうもの、向き合っているもの」のような。
一音の持つ「思念」は、本当はとても多いのだけど、「思念表」は読み解きを始める初心者が迷わないように、一つか二つに絞って書かれています。
小学生に上がるための「五十音表」だと思うといいかもしれません。
より正確に読み解きをするには、「思念表」だけではなくさまざまな知識や体験が必要になって来ます。
なので、「思念表」はあくまでツールの一つとして使っていくことが大切だと思います。
中学校・高校に上がっていくためには、優しい辞書からだんだん難しい辞書を使いこなしていくようになるのと同じですね。
ただ、やはり「五十音表」がベースになるのと同様に、これからカタカムナを学んでいく人にとって、「思念表」は使い方によってはとても強力な助っ人になると思います。
どんな学問でもそうだと思いますが、なにかを学ぶ、という時は柔軟な考え方がとても大切だと思います。
「なにかの試験に合格するための勉強」ではないものを学ぶときは、特に。
「思念表」では、音には「思念」の他に、それぞれに「数」が対応しています。そして、その数を合計したものからも言葉の持つ「思念」を取り出して読み解くことが出来ます。「思念」を「言靈(ことだま)」と表現するのに対して、この「数による思念」のことを「数靈(かずたま)」と言います。
たとえば、「カタカムナ」という言葉を数で計算すると
カ25+タ26+カ25+ム13+ナ14=103
で、カタカムナ=103だと分かります。
今度はこの103を、「思念表」で意味が取りやすい10と3に分けて、音の持つ思念で読み解いてみます。
すると、「10:メ:指向・思考・芽」と「3:ミ:実体・光」なので、日本語として意味の通りやすい言葉になるように思念を繋げると、103は「思考の実体」となります。
カタカムナが「思考の実体」?
「思考」ってなに?
「実体」ってなに??
「メ」は「目」でも良くない???
人間は、視覚からの得る情報がいちばん多いので、思考の元になっているものを「目」と考えると、音そのものの意味をとって「目の実体」と捉えても良さそうです。
※「思念表」の改ざんは禁止されていますが、吉野信子氏の開かれている「カタカムナ学校」で実際に吉野氏が「メ:10」を「目」と読み替えて講義される部分もあります。
そして「目の実体」とした時、自分が見ている世界が外の世界ではなく、自分の内面が映し出された世界なのだということが見えてきます。
ここらへん、ヌーソロジーの内面と外面のひっくり返りが、カタカムナの「思念」でも確認できて、スーパー面白いところです!←一人盛り上がり(笑)
以上、本日のmemoでした。
結構、書いとるやないか・・・(笑)